2019年5月17日、第77期名人戦で豊島将之二冠(王位・棋聖)が佐藤天彦名人を破り、自身初の名人を獲得するとともに、将棋界史上9人目の三冠王となった。昨年の7月に豊島が自身初のタイトルである棋聖を獲得した時は、八大タイトルの保持者がすべて分かれて「本格的な戦国時代へ突入か」とも言われたが、それから1年も経たずして、戦国時代から豊島が一歩抜け出した形になった。

2018年度の「最優秀棋士賞」も受賞した豊島将之名人 ©相崎修司

打倒木村候補の筆頭格であった升田

 過去の同時三冠達成者8名を達成順に挙げていくと、升田幸三実力制第四代名人、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖、谷川浩司九段、羽生善治九段、森内俊之九段、渡辺明二冠となる。今更説明する必要もない名棋士ばかりだが、それぞれの三冠達成の周辺状況をみていきたい。

 まずは升田について。戦前に長らく「無敵名人」と称されていたのは木村義雄十四世名人だが、升田は打倒木村の筆頭格であった。また、東京出身・在住の木村と関西所属(広島出身)の升田という対比もあり、「名人の箱根越え」の期待もかかっていた。当時のタイトルが名人一冠しかなかったこともあり、木村を倒しての名人奪取は升田の悲願でもあった。

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 そのチャンスがまず訪れたかと思われたのは1947年度の第2期順位戦である。だが、この時は名人挑戦者決定戦で弟弟子の大山に敗れた。「錯覚いけない、よく見るよろし」という言葉が有名な高野山のトン死である。その後も幾度となく名人奪取に挑んだが、ことごとく木村・大山の両者に名をなさしめてしまった。

将棋界の枠を飛び越えたスターだった升田幸三 ©文藝春秋

「名人に香を引いて勝つ」を実現した

 升田の転機となったのは1955年度の第5期王将戦である。名人と合わせて二冠を持つ大山に挑戦して、3連勝。王将奪取(当時の王将戦は3勝差がつくと番勝負決着とされた)とともに、大山を香落ちに指し込み、これも勝利。少年時代の悲願である「名人に香を引いて勝つ」を実現した瞬間だった。

 その翌年には王将を防衛し、九段(のちの竜王位)を奪取。さらに1957年7月11日、ついに悲願の名人戴冠を果たす。同時に将棋界史上初の三冠王となりタイトルを独占した。そのときに残した言葉が「たどり来て、未だ山麓」である。