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 この時中原が敗れて無冠となったことで、当時のタイトルは谷川三冠に加えて南芳一二冠(王将、棋聖)、高橋道雄十段、塚田泰明王座と、当時20代の棋士で占められ、世代交代が完了したという意見も見受けられた。

 谷川が自身の言葉通り、四冠を達成したのは1992年の2月28日(竜王、王位、王将、棋聖)だが、世代交代については想像を上回るスピードで下の世代が迫っていた。いうまでもなく羽生世代の面々である。

世紀の一戦として注目を集めた谷川-羽生対決

 谷川は四冠となった半年後、王位戦で郷田真隆に屈して三冠に後退していた。そして続く防衛戦となったのが竜王戦だが、そこに登場したのが王座と棋王の二冠を持つ羽生である。三冠対二冠の対決となったこの第5期竜王戦七番勝負は、まさに世紀の一戦として大きな注目を集めた。

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 その第1局で谷川は終盤で、まさに光速流の代名詞ともいうべき寄せを披露し圧倒、後輩へ貫禄を見せつけた。だが、2勝1敗で迎えた第4局、勝ち急ぎから谷川は好局を落としてしまう。名文家で知られた河口俊彦八段はこの一戦について、「谷川のこんなまずい将棋は、四段になって以来見たことがない」と書いている。結果的にはこの一戦が大きく、七番勝負は4勝3敗で羽生が制した。

 最終第7局が決着したのは1993年1月6日だが、この結果を報じる『将棋マガジン』の平成5年3月号には、

〈この日の大盤解説会は、ちょうど皇太子妃内定のニュースが流れた午後9時頃、幕を閉じた〉

 と書かれている。

2019年5月23日、羽生善治との通算167回目の対局を行った谷川浩司 ©文藝春秋

「三冠王になったのにすぐに取られては意味がない」

 そして三冠王となった羽生は、『将棋世界』の平成5年3月号にあるインタビューで、

「棋王戦(筆者注・竜王奪取の1月後に始まった)が非常に重要な勝負だと思っています。せっかく三冠王になったのにすぐに取られては意味がないと思うので、全力で頑張ります」

 と語っている。

 羽生にとって初の三冠防衛戦となる棋王戦に挑戦してきたのは谷川だった。五番勝負の結果は3勝2敗で羽生の防衛。谷川は自戦記(『将棋世界』平成5年6月号)にて以下のように振り返っている。

〈大きな勝負だった。

 ここで棋王を取り返せば、竜王を取られた借りの、半分を返すことができたのだが――。

 今期、羽生竜王との対戦成績は6勝8敗だったのだが、負け越しての差がそのまま、二つのタイトル戦の結果につながってしまった〉

 谷川に代わって棋界の頂点に立った羽生は、それ以降、前人未到の七冠ロードをひた走る。それが結実したのが1996年2月14日だ。さすがに七冠を維持した期間は半年足らずだったが、それでもタイトルの過半数をずっと保持し続けていた。