女性の可能性を追求してみたい、と考えた
そんな彼はまた、娘の誕生をきっかけに、ある夢を抱くようになる。この娘を棋士に育ててみたい、それも高段位の棋士に、と考えたのだ。そこには父・栄三の深遠な思いがあった。壽子が振り返る。
「父が私に囲碁を教えたのは、女性の可能性を追求してみたい、と考えたからだそうなんです。プロの世界では四段以下を低段者、五段以上を高段者としており、四段以下は少し低く見られる。当時も女性のプロはいましたが、全員が低段者で高段者はひとりもいなかった。父の周りにいた囲碁仲間の方たちは、よく集まっては、『女はプロになっても、せいぜいが四段どまりで、五段以上には絶対になれない』と断言するように語っていたそうです。でも、父はそういった会話を耳にしながら、疑問に思ったそうなんです。『本当にそうなんだろうか』と。それは少しおかしいんじゃないか。女だから五段以上にはなれない、という理屈はないのではないか。囲碁に体力は関係ない。一種の頭脳競技なんだから、男女差などないはずだ、と。そこで父は、『よし、ここは、ひとつ娘にやらせて試してみよう』と思い立ったんだそうです。つまり父にとって、私に囲碁を教えることは、ひとつの実験だったんです。女性の限界や可能性を知るための壮大な実験だったんですね」
強くなれば、結果に出ますから
思い立つと栄三は、さっそく自分で編み出した英才教育を壽子に施した。それは生活全般にわたる、非常に厳しいものであった。
「朝起きますと、まず冷たいタオルが置いてありまして、それで冷水摩擦を致します。それから庭に出てラジオ体操。それから、ひとり碁盤に向かって歴史上の名人が打った碁を並べて、囲碁の勉強を致しました。それが済みましてから、ようやく朝ご飯です。
朝、囲碁の勉強にもたついていると、友達が迎えに来てくれても一緒に学校に行けません。母が、『壽子はまだ囲碁の勉強をしているから、あなた方、先に行ってくださいね』と説明している声が玄関のほうから聞こえてくると、なんとも言えない気持ちになりました。そういう時は辛かったですね。小学校から帰ってきますと、今度は父が待ち構えていまして、父と対局致します。ですから父とは何千局と打っていると思います」
これが毎日の日課であった。同級生たちと遊ぶ時間は、ほとんど持てなかった。肉体鍛錬と修業の日々。当時、不満はなかったのかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「そういうふうに、囲碁の勉強を仕込まれて、最初は辛かったと思うんですけれども、子どもっていうのは、習い性になって慣れるんですよね。それに囲碁を理解するに従い、だんだんと面白くなっていったんだと思います。強くなれば、結果に出ますから。
だから、私は父に対して反発しなかったんだと思います。今でも、私が強くなれた一番の理由は、父が決めてくれた『習慣』にあったと思っています。毎日、同じことを繰りかえす。それが良かったんだと思うんです」