どの分野でも偉業達成、ニュースターの誕生が大きく盛り上がる。将棋と囲碁も、大きなニュースが世間の関心を集めた。2017年に羽生善治が「永世七冠」、井山裕太が2度目の七冠独占に成功し、国民栄誉賞を受賞。また、将棋は藤井聡太、囲碁は仲邑菫ら、21世紀生まれの棋士に多くの期待が寄せられている。

 そもそも、将棋と囲碁は1612年(慶長17年)に江戸幕府から俸禄を支給され、明治時代から昭和にかけて、主に新聞社をスポンサーに発展してきた。だが、棋士の制度などは異なることが多い。数々の記録を通して、その違いを見ていこう。

10歳0ヶ月、囲碁の史上最年少棋士となった仲邑菫(なかむら・すみれ)さん ©AFLO

将棋と囲碁を30年以上取材した記者に聞いた

 今回、取材に協力してくれたのは、山村英樹さん。毎日新聞社で将棋と囲碁を担当し、平成の棋界を見てきた。毎日新聞社は、将棋では名人戦・順位戦と王将戦、囲碁では本因坊戦を長年に渡って主催している。

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「入社は1981年です。86年に東京本社の学芸部に移り、その年の5月に将棋の記者会に入りました。まもなく、33年がたとうとしています。

 東京に移って、2年目から名人戦と王将戦の現場に関わるようになりました。初めて担当したのは、王将戦が中村修王将-中原誠名人、名人戦は中原誠名人-米長邦雄九段戦。名人戦は第2局の2日目の夕食休憩再開後、米長さんが突然、鼻血を出すんです。控室で『中断していいのか。血を止めるのを手伝っていいのか』と話し合いになりましてね。立会人の故・丸田祐三九段が『命に係わることだから、血は止めないといけない。それは助言じゃない』とまとめまして、中原さんに了承してもらって中断し、米長さんに血が止まるまで横になってもらいました」

米長邦雄永世棋聖 ©文藝春秋

 新聞には、将棋と囲碁の観戦記が掲載される。記者も専門的な知識がないと、記事を作れない。はたして、山村さんの棋力は?

「囲碁部出身でして、大学の団体戦(5人)で全国優勝したときのメンバーでした。

 将棋は企業秘密ですが(笑)、仕事でよいものだけ見ていますから、頭が実戦に対応できません。この手はイモ筋だろう、どの辺に駒がいけばいいのかは、なんとなく浮かびます。次の一手だったら、結構、当たるかもしれません。自分で指してみろといわれたら無理ですけど(笑)。

 囲碁でも、いいものばっかり見ています。そうなると、自分の碁がなんとまずいというか、ギャップが激しくて。それが自分で打たなくなった原因かもしれませんね」

 ここからは、山村さんの証言をもとに、将棋界と囲碁界の記録を見ていく。今回のトピックは史上最年少と最年長の棋士、そして年齢差対局の記録だ。