羽生善治が再び五冠王となった2000年度。この年度に羽生が記録した最多対局、最多勝数はいまだに破られていない(2019年3月現在)。充実する棋界のトップランナーについて、作家の目にした珠玉のエピソードが披露される。(肩書は初出当時)
初出:「文藝春秋」2001年6月号
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最多対局89局、最多勝利68勝、勝率1位7割6分4厘、連勝14。これが2000年度の羽生善治の成績である。記録4部門すべてを独占し、5つのタイトルを保持した。対局数と勝利数は歴代最高記録をマークしている。
しかも、その対局のほとんどはタイトル戦か、挑戦者を決めるリーグ戦である。予選を勝ち抜き、羽生への挑戦権を獲得した棋士たち全体で、羽生に対して2割5分の成績しか収められないというのが、厳然たる現実なのだ。この勝率は、アマチュアならば飛車落ちか角落ちほどの差となってしまう。なぜ羽生ばかりがこんなに勝ち、他の棋士との間に埋められない差ができていくのだろうか。
マシーンのように怜悧で猛々しく迫力に満ち溢れていた
羽生善治の出現は将棋界にとって一滴の血も流れない何の音も聞こえてこない、しかしそれは確実な革命であった。将棋界には羽生以前、羽生以後といっていいくらいの大きな変革がもたらされた。将棋界の勢力図が一変したばかりではない、それまでの棋士たちの価値観は瓦解し、将棋への考え方からライフスタイルに至るまで、羽生を旗頭とする天才集団に席捲されていったといっていいかもしれない。
奨励会入会年度から昭和57年組と呼ばれる羽生世代(羽生は昭和45年生まれ)は、羽生以外にも佐藤康光、森内俊之、郷田真隆らのタイトル経験者やトップ棋士を輩出している。現在のタイトルを保持しているのは五冠の羽生をはじめ、藤井猛竜王、丸山忠久名人とすべて羽生以降の世代である。
小学6年生6級で棋士の養成機関である奨励会に入会した羽生は、10年で卒業すればいい方で15年以上かかる者もざらにいる奨励会をわずか3年でクリアし、15歳で四段昇段を果している。中学生棋士は加藤一二三、谷川浩司に続く史上3人目の快挙であった。奨励会時代からおそろしく強い少年がいるという風評は将棋界に響き渡っていて、その姿を一目見ておこうと、当時、日本将棋連盟に勤務し、「将棋マガジン」を編集していた私も奨励会の対局をのぞきにいった覚えがある。有段者に交じって対局している羽生は少年の面持ちで、神経質そうに体を揺すりながら畳にへばりつくような低い姿勢で将棋盤に向かっていた。キラリと光る眼鏡の奥から、容赦なく対局相手を睨み付けていた。その姿はまるで将棋を戦うマシーンのように怜悧で猛々しく迫力に満ち溢れていた。