1ページ目から読む
4/4ページ目

「終盤の寄せのパターンは260通りに分類される」

 先崎がそう言うのには訳があって、羽生にはデビュー以来、いくつかの「不規則発言」で棋界を混乱させてきた経緯があるのである。

 有名なものでは「将棋の終盤の寄せのパターンは260通りに分類される」というのがある。これは羽生が四段になって間もない頃の発言で、正確には羽生は260通りとは言わず何百かのパターンに分類されるという意味のことを言ったのだが、あっという間にそう広まってしまった。

 この発言を聞いた棋士は深く考え込み、右往左往せざるを得なかった。もし羽生だけが、自分たちが知らない将棋の真理を知っているのだとすれば、それは同じプロとして致命傷になりかねないからだ。

ADVERTISEMENT

 もちろん羽生は終盤のパターンをすべて解析できた、と言ったのではない。しかし、無限大とまではいかなくともほとんど天文学的な数ほどあるだろうと思われていた将棋の終盤のパターンを数え上げることができると発想すること自体が衝撃的だった。そしてその作業を着々と行っているであろう羽生という思考回路の存在に誰もが衝撃を受けたのだった。

©文藝春秋

ゲームの本質に正面から向かい合っている

 私も自分なりに「打ち歩詰めがなければ先手有利」の意味を考えてみた。

この記事の全文は『羽生善治 戦う頭脳』(文春文庫)にも収録されています。

 インドで発生した将棋が日本に伝来したとき、最初は先手が圧倒的に有利なゲームだった。何度やっても先手が勝つので、なるべく結果を互角かそれに近いものにするためのルールが必要になった。取った駒の再使用(これは将棋を世界に類のない複雑かつ魅力的なゲームにしている)、駒が敵陣で成る(この二つのルールがないチェスは先手有利といわれている)、二歩の禁止等々。

 つまり、逆に言えば現状のルールをなくせば、すべて先手が有利になる。従って打ち歩詰めのルールがなくなれば、先手有利となる。羽生はそのことを言っているのではないかと私は思い至ったのである。

 そう考えたとき、羽生の「不規則発言」は、哲学者の口からこぼれた真理の細かなかけらのようにも聞こえてくるのだ。トッププロでありながら、将棋というゲームの本質に正面から向かい合っている羽生という青年に、私は驚きを禁じえなかった。

下記サイトでこの記事をより詳しく購読できます↓
※ロゴをクリックすると各サイトへ移動します
Yahoo!ニュース

この記事を応援したい方は上の駒をクリック 。