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植物の「中心のなさ」という考え方が、自分の世界観に合うんです

――その次の『アルカロイド・ラヴァーズ』(05年/新潮社)はまた女性たちの話でもありますが、非常に幻想的な作品です。現実社会と、人間が植物として生きている神話的世界が描かれますよね。

アルカロイド・ラヴァーズ

星野 智幸(著)

新潮社
2005年1月26日 発売

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星野 『ファンタジスタ』や『ロンリー・ハーツ・キラー』は意識的に新しい政治小説を書いたんですが、それが一段落ついた気持ちになったので、また家族とか性の問題に移っていったんです。

――星野さんは植物もすごくお好きですよね。その部分が発揮された作品だと思いました。

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星野 この頃、自分が生まれ変わったら何になりたいかといえば植物だと自覚したんです(笑)。自覚してみたらそれを小説に書きたくなった。常に自覚しすぎるのが自分の小説の書き方なんです(笑)。それで、既存の家族像とか、男女だけで分けるようなジェンダーのあり方を越えるというか、違うあり方を見せるひとつのモチーフとして、植物的な生き方を考えました。植物の場合には、めしべとおしべがあったりもしますが、そうではなくて細胞分裂したり株で分裂したりとさまざまな増え方があって、それを多少強引に人間に当てはめる形にしました。男はこうである、女はこうであるということを本能だとして考える原理主義を相対化しようと思ったんです。

――生まれ変わるなら植物になりたいというのは、個人の生き方としてはどういうところに惹かれるんでしょうか。

星野 なんでしょう。そもそも植物ってどこが中心か分からないですよね。人間だったら頭とか心臓とか、心というものがあるでしょう? だけど植物ってどこからでも増えるし、成長するし、それに動物と違って脳がないから、本当に何を中心として考えていいか分からない。その中心がどこだか分からないという、中心のなさという考え方が自分の世界観に合うんですよね。

――そしてその次はまた政治色の強いものになります。『在日ヲロシヤ人の悲劇』ですね。戦争への機運が高まる社会で、匿名のバッシングのはてに一人の女性が殺される。その家族たちのその後の命運も描かれます。

星野 また政治小説に戻りました。2004年のイラク人質事件で人質に取られた人たちに対するバッシングが起こった時、なんか日本の社会が越えてはいけないラインを越えてしまった気がしたんですよね。それで僕も人質解放を求めるデモに参加したんですが、その時にデモの問題というものもすごく突きつけられて。

 デモでみんなと同じことを言うのは嫌だったんだけれども、でももしデモにものすごい数の人が集まっている図が報道されたら、拘束している側も人質を解放するかもしれないと思ったんです。そうすると今度は、そういうことに関わっている人がまたバッシングされる。「日本社会にとって迷惑だ」とか「足を引っ張るな」とか。「非国民」という言葉が出てきたのもあの頃だったと思います。なんだか政治に関わったり政治のことを考えること自体が批判されることが始まって、そこに危機感をおぼえて書いたのがあの小説です。

――この小説では家族という小さな単位と、国家というか民衆レベルの大きな怖さも描かれる。小さな商店街を舞台に今の日本の怖さを描いた『呪文』に通じるものがありますね。

呪文

星野 智幸(著)

河出書房新社
2015年9月11日 発売

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星野 大きなところから話に入るのではなくて、できるだけ一家族をベースにしたんですね。大文字の政治と、日常の中の政治との対比を見えるようにしたくて。そういう意味では確かに『呪文』の書き方を志向していたと思います。ただ、一方では大きな政治の話は大きな話としてそのまま書いたので、一番政治色を強く出した作品だとも思います。