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最悪の社会を脱する抜け道を作らないと、自分がしんどいなと思い始めたんです。――星野智幸(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/12/20

genre : エンタメ, 読書

note

読者からの質問「私たちの社会に『言葉をとりもどす』ために必要なことは?」

 

●昨今の社会状況、政治状況の変化を眼前にして、言葉がないがしろにされていて、何を言っても、何も変わらないのではないのか……という思いにかられることが多々あります。しかし、諦めたくない思いも強くあります。

 私たちの社会に「言葉をとりもどす」とはどういうことなのか? どうすればいいのか? どのようにお考えになりますか?(30代女性)

星野 これは『呪文』を読んでくださいというのが一番なんですけれども(笑)、僕自身ももうその無力感に日々、苛まれています。でも、たぶん、無力に思うのは短いスパンで考えるからだと思うんですよね。今この、言葉の通じない状況を変えようと思っても、身一つで奔流を逆向きにしようと努めるようなもので、悪化する力のほうがどうしても強いと思うんです。

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 こういうことを言うとネガティブな考え方と言われるかもしれませんが、たぶん、世の中はもうちょっと悪化するだろうと思います。でもずっと悪化して何百年も行くわけじゃないので、絶対にどこかで悪化の劣化が起きるし、それはそんなに遠い将来ではないと思う。と言っても、来年とかではなく、もうちょっと先でしょうけれど。

 だから5年10年という単位で考えながら、反転の兆しが現れた時に自分は意味のある言葉を持っていられるよう、今から準備をするのだという気持ちが重要かな。マンデラはあんなに最悪の監禁に30年も遭っていたけれど、いつか終わりが来ると思って準備していた。自分の中から言葉が失われないよう、保ち続けることが肝心だという気がしています。

●若い頃に創作がうまくなったと自分で分かる機会がありましたか? その主な理由はなんだと思いますか?(30代男性)

星野 『最後の吐息』を書いた時も手応えがあったと思ったし、今だって書いていて「ああ、自分はうまくなったな」と思うことがありますね。さきほど自分には才能がないと言いましたけれども、小説は半分くらいはやっぱり職人芸でもあるんですよね。なので、粘り強く集中して、高い探究心を持ち続けながら書き、それを純粋に楽しむことです。それから、いつも少しずつ背伸びすることですよね。そういうふうに書いていれば、どんな人でもその職人芸の部分は絶対うまくなると思います。

●世の中に小説家は大勢いらっしゃいますが、「他の人も小説を書いているから、自分は書かなくてもいいか……」とならないのは、小説家のみなさんが「自分にしか書けないものがある」と信じていらっしゃるからだと思います。「星野智幸にしか書けないもの」は何だと思いますか?(30代男性)

星野 僕はやっぱり才能がないと思っていたので、文学がちゃんと機能しているなら別に僕が書く必要はないと思っていましたよ。だけれども、中上健次が死んだ時に、文学が機能してないかもしれないという危機感を持って書いている人ってあまりいないなと感じたんですよね。そういう危機を自覚している書き手がもっといないと文学は消える、つまり個人の言語表現は意味をなさなくなる、と思ったのが、小説を書く動機のひとつでした。自分はそういう意識に動かされて書いているということは、自負としてあるかもしれません。

 たとえば「政治小説」ってわざわざ自分で言うのは結構恥ずかしく感じていましたけれど、でもそう銘打つ必要があったのは、やっぱり政治を小説に書いている人があまりいなかったからです。

 あとは『夜は終わらない』のように、自分が好きなことだけを書いた時に、見渡した限りまだそんなに類似した作品はなかったので、そういう意味で自分しか書いていない小説もあるのかなと思います。

●近年日本の小説家は最初から海外の読者も想定して文章を書くことが多いと言われています。星野さんも書く時点で意識することがありますか?(60代女性)

星野 僕が知る限りでは、翻訳出版されることを意識して小説を書いている人はいないと思います。翻訳されたいと思っている人はいっぱいいると思うんですけれども、書いている時に翻訳を意識して日本語を作っている人は皆無ではないでしょうか。

 それとはまったく別の次元で、僕はもともと翻訳をちょっとやっていた経験もあるので、自分の小説が別の言語に置き換えられた時、どういう言語になりうるかということは意識します。そのことが日本語の幅を広げてくれるので。特に初期には自分の言語を時々スペイン語にしてみたりもしました。でもそれは翻訳されたいからじゃなくて、その落差の感覚、違いの感覚を自分で意識したかったからです。