1ページ目から読む
2/3ページ目

「これまでの苦労を忘れずに」目尻を拭った木村九段

 木村九段は加瀬七段門下ではない。故佐瀬勇次名誉九段門下だ。しかし木村九段と加瀬七段の仲は一門の垣根を超えたものだった。

 そして木村九段は筆者にとって兄弟子のような存在となった。それは同じ加瀬七段一門の他の棋士(佐藤和俊六段・戸辺誠七段)も同様だ。その関係はいまも続いており、今春は木村九段と佐藤(和)六段の順位戦昇級祝いで皆で杯を傾けた。

 筆者が出会った頃、木村三段(当時)はプロ入り目前で苦しんでいた。プロ入りをかけた三段リーグの結果に将棋教室のお客さんが一喜一憂していた。

ADVERTISEMENT

 木村九段のプロ入り、そこからの快進撃は将棋教室のお客さんをおおいに喜ばせた。筆者も含め一門から次々とプロ棋士が誕生したこともあり、毎年のように祝賀会が開催された。

 筆者がプロ入りした2005年にも祝賀会が催され、師匠に最初の挨拶をお願いし、木村九段に締めの挨拶をお願いした。

 挨拶で木村九段は「これまでの苦労を忘れずに頑張ってほしい」そう言うとそっと目尻をぬぐった。関係性を知らない将棋関係者には、一門ではない木村九段が締めの挨拶をすること、そして涙を流したことに相当の驚きがあったようだ。

 プロ入り直前で苦戦した筆者のことを思っての涙だったのだろう。後日、筆者がプロ入りを決めた時に自宅で飛び上がらんばかりに喜んでいたと木村九段の奥様から伺った。その優しさに嬉しい以外の言葉が見つからない。

©文藝春秋

 一門で開催されていない祝賀会は、タイトル獲得祝い、それだけだ。一門としては、木村九段に頼るだけではなく、皆で頑張ってお客さんの期待に応えたいものだ。

長時間の対局に備え「毎日7kmくらい走る」

 木村九段には将棋もよく教わったが、棋士として大事なことをいくつも教わった。

 1つは「ファンを大切にする」。筆者は木村九段が礼を尽くし、義理を果たす場面を幾度も見てきた。その姿は見習うところばかりだ。

 1つは「対局を大切にする」。練習試合であろうと対局へ真摯に向き合う姿は、普段の饒舌さやサービス精神旺盛な姿とはまるで別人だ。

 また長時間の対局に備えジョギングを欠かさない。先日聞いたときも「毎日7kmくらいかな、疲れちゃうから対局前は走らないけどね」と話していた。筆者の記憶が正しければ25年前からこの「7km」には変わりがない。

 先ほどプロ入りをかけて木村九段がお客さんを一喜一憂させたと書いたが、プロ入りしてからはタイトル獲得をかけてお客さんを一喜一憂させている。四半世紀経っても同じ光景が広がる。