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抗議の自殺は「意味のある」死だったか

 言論でもデモでもレジスタンス蜂起でも絶対に状況を覆せないほどの絶望的な強権政治に対して、おのれの生命を投げ出して抗議の意を示すという手段は、テロと並ぶ究極の抗議行動として(その賛否はさておき)確かに存在する。

 たとえばチベットでは、2008年3月の大規模な騒乱が鎮圧された数年後から僧侶などの焼身自殺が相次ぎ、犠牲者数は150人を超えている。だが、これは自分たちの故郷が中国の公安と人民解放軍の直接支配下に置かれ、強力な同化政策のもとで固有の文化を完全に抹殺されかねないほど追い詰められた人たちが取っている行動だ。

 もちろん昨今の香港の状況も厳しいものがある。だが、香港人は一国二制度のもとで西側先進国水準の基本的人権が保障されており、移動の自由も集会・結社や言論の自由も認められている。市民が数十万~200万人規模のデモを何度も組織できている点からも明らかなように、現時点の香港に許された自由や自主性の余地は、チベットとは比較にならないほど大きい。

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 だが、そうした違いがあるにもかかわらず、熱心なデモ参加者たちのあいだでは、Lの死は事実上、運動のアイコンにされてしまった(すくなくとも現地を見た私はそう感じた)。「200万人+1人デモ」という一部での呼称も含めて、彼の死は感動的なストーリーに回収され、知人を含めた複数の香港人や香港在住者にも、素直に心を打たれて敬意を示す人がいた。

パシフィック・プレイス付近に設けられたLを追悼する即席の祭壇。「愛港烈士」「英魂は朽ちず」と、Lをたたえる言葉が並ぶ。6月17日撮影 ©安田峰俊

 おそらく亡くなったL本人にとって、この扱いは本望だったことだろう。6月16日のデモに向かった200万人近くの市民には、ネットなどで前日に大きく広まったLの抗議死が参加の動機になった人も大勢いたはずだ。香港の歴史上で最大規模の抗議運動のキーマンの一人になった点で、Lが生命を投げ出した行動には「意味」が付与されてしまった。