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連載昭和の35大事件

「娘を売った金で」極貧小作人と横暴官憲の闘い「木崎村小作争議」とは――作家・大宅壮一が振り返る

「木崎村小作人争議」の全容

2019/07/21

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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菊池寛らの「農民小説集」で資金集め

 もっとも早く金をつくる手段として「農民小説集」というものを編集し、その印税を寄附してもらうことになった。加藤武雄、藤森成吉、木村毅の共編で、つぎの作家から農民をあつかった作品を1篇づつ出してもらった。

 芥川竜之介、菊池寛、吉田絃二郎、秋田雨雀、真山青果、中村星湖、小川未明、細田民樹、中条百合子、金子洋文、中西伊之助、犬田卯、和田伝、鈴木喜和雄、今野賢三、悦田喜和雄のほかに、編者の3人と私も加って、合計20人である。

左から芥川龍之介、菊池寛 ©文藝春秋

 私の場合は、まったく処女作、というよりも、このほかに私は小説らしいものを2、3篇しか書いていない。これは、題名を忘れてしまったが、この少し前に「文芸春秋」に投じて採用になったところ、印刷所の火事で原稿もゲラ刷りも焼けてしまったのをもう一度思い出して書いたものである。

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 これらの作家の承諾を求めるために、私は同社に入社してまもない楢崎勤君と手分けて訪ねてまわったが、いずれも大賛成で、断ったのは正宗白鳥氏ただ1人だった。正宗氏のいい分は、

「私は岡山県の地主で、今も小作人にはひどい目にあっているから、こういう運動を応援するわけに行かない。私にいわせれば、ふだんブルジョア呼ばわりされている菊池君とか資本家である新潮社がこれを応援する気がしれない」

 というのである。いかにも白鳥らしいものの考え方である。

 それはさておいて、この小説集は定価が1円80銭で、初版3000部の印税580円入ったが、これだけでは、田舎のどんな小さな学校でも建つものではない。そこで関係者一同相談の上、新潮社から3、4000円ばかり借り出すことになった。といって、無条件、無担保で借りられるものではない。結局、当時「死線を越えて」その他出るもの、出るものベストセラーとなっていた賀川豊彦氏の全集を担保にするということで、建築用材を仕入れるのに必要な金を借り出すことができた。とにかく材木を現場にもちこめば、あとはどうにかなるというので、三宅君はこの金をにぎって新潟へ急行した。

地主の横暴に連日連夜で反対運動

 その間にも争議はつづけられていた。地主の態度はなかなか強硬だというので、東京から作家、評論家その他の文化人が続々と応援にのりこんだ。

 私も木村毅君やロシア文学者の富士辰馬君などと共に出かけて行った。現地へつくと、ちょうど田植前で、見わたす限りの水田には、水が満々とたたえられている。しかし問題の田には、縄がはりめぐらされ“立入禁止”の制札が立っている。その周囲には蓑笠をきて鍬をもった大勢の小作人と、各地から応援にきた警官隊とが相対峙し、一触即発ともいうべき空気をはらんでいる。

©iStock.com

 農民組合側も、全国から応援をえて、大いに気勢をあげていることは、戦後の内灘事件や富士山麓の基地反対運動と同じで、連日連夜演説会が開かれている。会場は小作人の家で、障子やフスマをすっかりとり外しても、せいぜい4、50人しか入らない。そんな家が10軒も15軒もあって、「第五会場」「第八会場」などと貼り紙がしてある。講師はこれをつぎつぎまわって歩くのである。どの会場も資本家、地主の横暴、社会変革の必要が叫ばれ、われるような拍手でドヨめいている。この空気の中に浸っていると、今にも日本に革命に起りそうだった。