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忘れさられつつある「強権組織」との対立の歴史

 かくして日本社会運動史上珍らしいケースとされているこの事件も幕を閉じたのであるが、これは今からちょうど30年前のことである。

 その間に日本は満洲事変、中華事変、太平洋戦争などを行ってついに負けたのであるが、日本の文化水準や国民の生活程度の上っていることは、30年前の比ではない。少くとも、前掲の無産農民小学校の先生が報告しているような状態は、日本中どこへ行っても見られない。

戦後の昭和5年新宿駅の様子 ©文藝春秋

 新しい憲法によって基本的人権も或る程度守られるようになっている。現在の日本でなら、このような学校ができても、強権をもって解散させられるようなことはあるまい。現にこれに似た学校が戦後にできてもいる。

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 こういう点では、この30年の間に、特に戦後の10年間に、日本は格段の進歩を見せている。しかし国民の間における基本的対立というものは、まだ解消するにいたっていないし、2つの勢力の間の対立抗争の形式も、あまり変ってはいない。

 だが、せんだって私は、新潟県下を講演して歩いて、この事件を知っている人や覚えている人が、きわめて少いのを知って驚いた。すべては時代の波に押し流されて泡のように消えて行くものらしい。

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。