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連載昭和の35大事件

「娘を売った金で」極貧小作人と横暴官憲の闘い「木崎村小作争議」とは――作家・大宅壮一が振り返る

「木崎村小作人争議」の全容

2019/07/21

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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悪しき慣習制度がもたらした悲惨な現状

 とにかくこの文章は、社会に大きなショックを与えた。当時朝日新聞はこれを社説に取上げて、つぎの如く論じている。

「――ここで問題となるのは、これら児童の素質、無産小学校の状況ではなくて、児童をこの状態においた従来の小学教育である」

 だが、これを小学教育の責任に帰するのは酷である。

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 まず第一に改善しなければならぬのはこの子供たちの父兄の生活であり、それには“込米”の廃止を求めたものを監獄にぶちこむような封建的搾取からかれらを解放することが先決問題である。前記の社説も「木崎村問題を引起したような制度の不自然も改善」さるべきだという結論を下している。

 一方、私たちの調達した金で、校舎の建築は始まった。大勢の組合員の手で突貫工事が進められ、2カ月後の7月25日には上棟式兼開校式が行われた。当日県警察部は制、私服警官200名を駆り集めて物々しい警戒陣をしいたが、その中で3000の農民たちは、どこからかもってきた大釜をたたき、これを合図に、木の香も新しい新校舎で勢ぞろいした。

 神官の祝詞が終ると餅まきにうつり、最後は示威行列となった。農民歌を高唱しながら地主宅に向うところを阻止せんとする警官隊と衝突、大乱闘を演じ、三宅正一外20余名が検束され、翌払暁におよんでようやく静まった。

三宅正一外20余名が検束された農民の大量検挙を伝える東京朝日新聞

「学校を即刻閉鎖」”自発的解散”に追い込まれた農民組合

 こうなると、世論は沸き立ち、政府の方でも何とか対策を講じなければならなくなった。若槻内閣の時で、浜口内相、町田農相、岡田文相などが、新潟県学務部長に上京を命じ、その報告をきいた上、私立学校令に基づいて閉鎖を命じることになった。これに従わない場合は、行政執行法によって罰金もしくは強制執行を行うか、或はこれを結社と認め、できたばかりの治安維持法を適用して解散させるという方針をたてた。

 組合側は、その後県下各地で連日連夜講演会を開いて気勢をあげる一方、問題の無産農民小学校内に高等農民学校を併置し、農業技術と共に、経済学や農民組合の理論と実際を教えて、農民運動の闘士を養成し、女子の専修科もつくるという計画を発表した。

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 県当局は、政府の指示をうけて、組合幹部を県庁に招き、学校を閉鎖するようにと警告的懇談を行ったが、組合側は入獄中の幹部の意向もきかねばならぬし、小作争議と学校問題は切りはなすことはできぬといって、これを拒否した。

 そうこうするうちに9月の新学期が近づいた。無産農民小学校の建築もまもなく完成することになったためで、組合側では9月1日を期して落成式を行うと同時に、東京から多数の名士を呼んで、木崎村事件真相報告大演説会を開く計画を進めた。その後でまた地主の家に示威行列を行うものと見てとった県警察部は大いに神経を尖らし、これを事前に抑止する手をうってきた。

 初めは“懇談”的なゼスチュアを示した県当局も、こんどは組合幹部に出頭を命じ、警察部長立会いの上で、学校を即刻閉鎖しなければ、組合幹部を治安維持法によって逮捕する旨申しわたした。

 組合側にしてみれば、この小作争議に勝って耕地をとりもどすことが先決問題、いや、死活問題なので、これ以上頑張ってさらに犠牲者を出すわけに行かず、ついに涙をのんで県当局の申し入れをのみ、無産農民小学校は組合側で“自発”的に解散することになった。