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連載昭和の35大事件

「娘を売った金で」極貧小作人と横暴官憲の闘い「木崎村小作争議」とは――作家・大宅壮一が振り返る

「木崎村小作人争議」の全容

2019/07/21

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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シラミの大軍に、竹藪のような頭髪の子供達

 争議勃発と共に同盟休校をはじめた小作人の子供たちは、無産農民小学校ができるまで村のお寺を仮校舎にして授業をうけている。これは昨年京都の旭ガ丘中学で起った事件と似ているが、旭ガ丘の場合は先生の転勤が原因となったのに反し、こちらは学童をふくめた全家族の死活問題だから、もっと真剣である。

 初め組合幹部が交代で臨時教員として教壇に立っていたが、このニュースが新聞に出ると共に、正教員の免状をもったもので、この学校を忘望するものが、全国各地から続々あつまってきた。

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 だが、これらの先生たちは、教壇に立って見て驚いた。その一人がつぎのような感想を新聞に寄せている。

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「第一印象は汚いという感じであった。子供の着ている黒光りのする着物、その子供の鼻から流動している2本棒、その黒いウロコの生えているような足、ササラのような女児の頭、初対面で、すっかりドギモをぬかれてしまった。新しいこの先生を珍らしがって、青バナ連中が包囲して、口々に何事か早口にしゃべっているのを見て、全く野蛮人に包囲されたような、泣きたいような気になった。かれらの下駄、ぞうりは、学校にくるときに用いる一種の装飾品にすぎない。道であっても常にバダシで歩いている。村の老人と話していると『今は子供までが下駄をはくようになって――』といっている。鼻をふくからさん然たる光を放っている着物も、親たちが学校に行くときにのみ着せる着物だから驚く。女児の竹藪のような頭髪を見ると、始めは身震いした。その中には、シラミの大軍が潜伏している。15分の休みの時間がくると、女生徒は縁端にあつまって円陣をつくり、各々前の生徒の頭をせせり始める。

小学6年生で「字が読めない」

 かかる退化した状態にある子供達の学習ときたら、またお話にならない。私の分校約80名のうち満足に読本の読める子供は10人とない。他の子供は全く問題にならない。3年生で“いろは”を知らない子供を知っている。全然読めない子供も相当いる。6年生でほとんど読めない子供が沢山おる。かれらの大部分は、先生の口真似をしているばかりだ」

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 人道主義的な情熱に駆られて、“民衆の中へ”身を投じた先生たちが、いかなる現実に直面したか、そしていかに面くらったか、右の文章の中に躍如としてあらわれている。さながらツルゲネーフの小説の一節である。