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連載昭和の35大事件

2019/07/28

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

「逃げましょうッ」虐殺から逃れた、長く一瞬の出来事

 間もなくあの姿になるのだ! そう観念した。この日本人の一群は、覚悟は決めたが誰の顔にも血の気はなかった。それでも今考えてもあの時のあの人は気丈な日本女性だったと感服する。台所へまわった一人の女中さんがあって丼に一ぱい水をはこんで来た。つまり、近水楼裏庭の水さかずきだ。初めはそんな余裕も少しはあった。それで皆で静かに呑み干すと男は縄をひかれ女はそのあとについて蓮の葉のある池を横切る土の橋を渡っていった。声はなかった、行く先が死場所だったことは云うまでもない。その時途中で、政府建物の一角につれこまれたが、そこにも同じ運命の日本人の一群がいた。あとから入って来た人達もあった。ざっと見て80名から100名近い人だったと思う。

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 はしゃぎ切た叛乱兵が銃を荒々しく振りまわしたり、監視の眼が鋭かった。時々嘲けるものもいた。2時間あとこのとらわれの日本人の一団は通州の北門に近い城壁の内側に立たされ、そこが地上の最終の場所となったのであるが、200余名の犠牲者のうち(筆者もこの中に加わっていた)おそらくこの集団の場合が、1番大きな虐殺の場面であったと判断出来る。数から見てもそうだが、夜明けから朝にかけて表通りの日本人は自宅や、逃げ出す途中をあちこちで殺されていたからである。筆者は今、通州脱出直後にかいた自分の銃殺される場面の手記を読んでは伏せ、伏せてはのぞきこんで、ジーンと頭のなかが鳴るのを覚える。銃殺場への道はながくはなかった。真昼の陽が高く、焼けつくようだった。足を引きずりながらウネウネと露路をぬけると道は絶えて空地に出た。左側に城壁が、前面に立木か56本、城壁の夏草が心もち風に動いていた。1ぴきの蟬の音が、声なき者の耳に澄みきっていた。砲声が小止みになって不思議な静寂のひとときがあった。

 しかしそのころには、殆んどの人の心はもう自分から死んでいったようなものだ。銃殺場というのは、左側城壁の、つまり内側の土が崩れて斜面を作っていた場所にあたる。どぶがあって、水が黒く、悪臭が漂っていた。ここまで来たみんなは、このどぶから斜面に通じる細道を渡って上へのぼるようにせきたてられた。筆者は先頭だったので、城壁の頂上に一番近い位置をとった。

 最後の一かたまりが渡りきるまで、5、6分もなかったろう。その頃はもう4、50名の兵隊が、どぶをはさんだ反対側に列をつくり、斜面に対していた。縦になっていた銃が次第に「狙え」のかまえに横にかえられた。瞬間、サッと殺気が走って、アッその時、裂帛の女の叫び、「逃げましょうッ」と。その声は冀東政府で見た事のあるタイピストの、あの人の声ではなかったろうか。一瞬この叫びと筆者の跳躍とどちらが先かあとかとっさの事だった。そして城壁のふちに手をかけると、壁画に腹ばって、むこう側三丈余をすべり落ちていった。銃声がはげしくあとを追いかけてひびいた。これが虐殺の日の筆者が知る最後の場面であった。

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「賑やかにわたる三途の河原かな」死の街・通州に残る怨念

 当日、同じ城内でも危く難をまぬがれた幸運の人達も相当あったのである。131名といわれた生存者のうちには、事件を早く知って、未明のうちに兵営へ逃げこんだものが多かった。留守同然の兵営がどうにか守り通せたと云う蔭には少数の憲兵や通信兵の犠牲があるが、いまともなれば滑𥡴な話もある。

 その時営庭には無数の弾薬が積まれてあった。それに弾があたって、一ぺんに、はね出した。その激しい音を聞いた叛乱軍は手強いとみたか、応援軍の到着と見てとったものか、俄かに逃げ出したと云うのである。怪我の功名みたいなお話である。

 しかし実のところ、本物の日本軍が駈けつけたのは、それから、2日あとだった。叛乱軍はとっくに城外に逃げ出していた。居留民にとっては、すべてが後の祭りであった。それこそ犬の子一匹のかげもなかった。とあとで人は言った。文字通り死の街通州だけが残っていたのである。そして、どこかでこんな話も聞いた。北門の銃殺場の跡にいって見たら、そこにちらばっている多くの死体の中から、中年の男の人の手のひらに、ペンで「賑やかにわたる三途の河原かな」と書かれてあったと。これだけの辞世の句をよんで、あの際あの時、あの恐しいどぶの細道をわたった人と云うのはよほど心に余裕のあった人物に違いないと思う。こんな人はまれだったようだ。それはそれとして通州では日本人の恨みは長く続いたと云うのがほんとうだ。誰いうとなく化けもの話が伝わったものである。

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 細い露路がある。道を入って行くと子洪の泣声がして、そちらを向くと、女の広い帯だけが路上に引きずられていくのを見た。ハッとするといつのまにか、その子供の泣声も女の帯も消えてしまった。人魂がとぶ。幽霊を見た。そんな話が随分つたえられたものである。