解説:差別と貧困、声をあげた若者は「力」に押しつぶされた
今年2月、韓国映画「金子文子と朴烈」(イ・ジュンイク監督)が日本公開された。朴烈と金子文子の「大逆事件」を正面から取り上げ、韓国では2年前に公開され、観客235万人を動員する大ヒット。日本でもミニシアター上映の韓国映画としては異例のヒットで、作品の評価も高かった。筆者も興味深く見たが、日本ではまず製作は無理な題材を映画化したことに感心した反面、2人は無政府主義者(アナーキスト)とされたのに、映画では「日本の植民地支配に抵抗し、独立を求める民族主義者」の面がより強調されて描かれていたのが気になった。
確かに、朴烈は「俺は最初、民族的独立思想を抱いていた。次いで広義の社会主義に入り、その後無政府主義に変じ、さらに現在の虚無的思想を抱くようになったのだが、いまでも民族的独立思想を俺の心底からぬぐい去ることはできぬ」というような思想遍歴をたどった(予審尋問調書)。一方で、文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』によれば、文子は2度目に会った時、朴に「あなたは民族主義者でしょうか?」と聞いている。自分は朝鮮人ではないから、「あなたがもし独立運動者でしたら、残念ですが、私はあなたと一緒になることができないんです」と。これに対して朴は「僕もかつては民族運動に加わろうとしたことがあります。けれど、いまはそうではありません」と明言している。尋問の中では2人とも「無政府主義ではなく虚無主義」とも強調している。どれが本当なのか。いずれにしろ、反日の流れが強い現在の韓国では、民族主義者の面を強調した方が国民に受けるのは間違いないのだろう。
今でもいくつかの謎が残る「朴烈事件」とは
その点に限らず、この事件はナゾが多い。2人の「犯罪」は、関東大震災後の混乱の中で、さまざまな思惑から「大逆罪」をでっち上げられたというのが定説。2人に死刑判決を出した大審院の牧野菊之助裁判長は「十数年前幸徳秋水を出し、さらに難波大助が現れ、今また朴烈のような人間が出たことは誠に遺憾に堪えぬ」と語った=1926(大正15)年3月26日東京日日夕刊。そのいずれも「大逆事件」だが、他の2件は多少なりとも実行行為があった。しかし、朴烈事件はほとんど思いつきで爆弾入手を考えただけ。震災時の保護検束から始まって大逆罪まで、犯罪が“製造”された感が強い。弁護人の布施辰治弁護士は「いかなる大逆不逞の思想といえども、これを実行に移さない中は、最大最悪の不敬罪であっても、大逆の犯人とはならない」と雑誌『改造』上で述べた。事件そのものよりも、それを政治的に利用しようとするさまざまな動きが入り乱れたのが事実だった。その結果、差別と貧困の中から声をあげようとした若者2人が、政治やメディアなどの「力」に翻弄され、押しつぶされた印象が強い。翻って、格差と貧困など、数多くの問題を抱える現在の若者はどうなのだろうかと、考えてしまう。