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連載昭和の35大事件

無残……日本人虐殺の「通州事件」はなぜ起こってしまったのか?――生き残った記者が激白する地獄の現場

いつの時代でも、恐しいのは狂った政策である

2019/07/28

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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「勝といったら利と答えればいいんだぜ!」繰り返される勝利報告

 通州は小さくはあるが、北京のようにやはり城壁に囲まれ、城門があって、これを閉めれば出入りは遮断される。城壁の北側にそって、天津へ通じる運河が流れ、城内中央に、高く仏塔がたって、野鳥がそのいただきを群をなして飛んでいた。冀東政府の建物は仏塔のもとにあり、附近に蓮池が広がっていた。

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 それをのぞんで、こちらのふちに近水楼と云う旅館とも割烹ともつかぬ日本人経営の宿屋があった。日本人の女中さんが十数名働いていたが、ここへ来る日本人の軍人や実業家が、宴会に宿泊に利用する唯一の場所である。事件の夜は筆者もその宿の座敷に輾輾反側、ひどい暑さに寝苦しかった。当時菅島部隊といって2、300名の通州派遣軍がいたのだが、それが29日朝から附近に駐屯の宋哲元軍に攻撃を加え、これを追払って、そのまま北平の南苑方面の戦闘にまわって了った。残ったものは、通信兵や憲兵の少数で日本軍兵営は留守同然であった。

 筆者はその28日の夕刻までの間を、冀東政府の建物に出入していたが、どの部局の部屋へ入ってもざわめきたっていた。どこから送られてくるものかしらなかったが、ラジオはさかんに支那軍の全面戦勝を放送していたのだ。蔣介石が南京から鄭州まで北上してきたとか、支那軍の飛行機200機が前線に出動するとか、どこでもここでも、勝った勝ったの放送が、しつこく飛ばされていたのは事実である。冀東の役人達がいっていた、今夜の合言葉は、勝といったら利と答えればいいんだぜ! その何か起きそうな剣呑な形勢は、こんなことからも察せられたのである。

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「身の毛もよだつ叫喚悲鳴が」息を殺して待った2時間

 銃声は午前4時に始まった。飛びおきると電話機をにぎったが切られていた。池を渡って来るように銃声がひびいてくる。それは政府の建物の方向からであるが、暗夜のことだ、出かけて見るには気持がわるすぎた。ほかの人達もぼつぼつ起き出してきた。何事だろう……名も名のりあったこともない、一夜の相客ばかりだが、ひたいを寄せて案じあった。銃声はますますはげしくなるばかり、不安のうちに空は白んで来た。2階に上って窓からのぞくと、南の方に白煙、黒煙が上っている。

 事態は只事ではない。それは確かだがまさか保安隊の寝返りとはその時はまだわからなかった。8時頃になると昨夜、外で泊った、近水楼のボーイが口もろくろくきけずにかけこんで来た。「特務機関あたりの日本の店やカフェーのところで、日本人が大勢殺されています。大変だ!」これが第1報だった。さてそれからは生還直後の私の遭難手記の一頁はこう書いている。

「近水楼にはまだ危険がないので少しは安心していたところ、午前9時頃から、56軒先の支那家屋あたりで盛んにピストルがパンパン」なり出した。それが次第にこちらへ近づいて来る。さらに隣家の軒近く、次ぎにはついに近水楼の裏の窓ガラスが1弾の銃声とともにバリバリと四散した。びっくりして一同は、一斉に2階に駈けあがり、俄かに畳をおこして防壁を作り、78名の女中は押入れにかくれ、男はじっと様子を見とどけると云う工合でとうとう恐しい運命の火の手はここにも押しよせて来た。1人の客の智恵で置根裏にかくれることにきめ、テーブルを重ねて19人のうち11名が天井窓から屋根裏にあがったが、間もなく足もとが俄かに騒がしくなると銃声が屋内にパンパンひびき、下では早くも虐殺が始まったらしい。銃声にまじって身の毛もよだつ叫喚悲鳴がきこえる。私はそっと躰を起して、屋根裏の硝子窓から外を見ると、何ぞ蓮池の中の道を渡って、暴徒が笛を合図にドヤドヤと屋内に闖入し、ピストルを放っては喊声をあげ、大掠奪を始めているではないか。最初保安隊の一部は、これを阻止するかの様に声を嗄らして制止していたが、発砲しないので結局ほしいままに掠奪が行われたのだ。この一団が引き揚げるとこんどは保安隊自身が掠奪を開始し、客のカバン、布団、テーブル、扇風機、衝立といった順序で、しまいにバリバリと物をはぐ音さえ足もとに聞える。私達は息を殺して、恐ろしい2時間の屋根裏籠城を送った。私たちのかくれていた屋根裏が発見されたのは正午近くであった。運命はきまった」と。

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 天井窓から引きおろされ、身につけていた有金のほか、ハンカチにいたるまで、とりあげられたのは云うまでもない。不思議に筆者はその時、シャツの下に腕時計が残った、これは後で役に立った。そして男6名は一本の麻なわで腕を数珠つなぎにしばられた。筆者が最初であった。眼鏡をはずされたときこれはいよいよ殺すつもりだ。と直感したのをいまも思い出す。引立てられて梯子段を降りかかると、ここで初めて、足元に惨殺死体のころがっているのを見た。女中さん達だった。3、4人、無念の相に唇から血をふいてそのむごたらしい有様はいまとなってこれ以上書くのは忍びない。