1975年11月、アメリカ合衆国アリゾナ州で森林作業員をしていたトラヴィス・ウォルトンが失踪した。
失踪現場に戻るのを拒むほど、恐怖に震えていた同僚の若者たちが話したのは「トラヴィスはUFOに誘拐された」という衝撃の証言だった。
70年代の米国は、「アメリカ人の51%がUFOの実在を信じており、11%が目撃した経験がある」(73年、ギャラップ調査)という調査結果もあったくらいの“SF・オカルト大国”だった。当時の空気感をあますことなく伝える、前述のトラヴィス・ウォルトン事件”を追った記者のレポートを再掲載する。
初出:文藝春秋デラックス『古代の遺跡とUFOの謎』1976年7月号
※本文中は当時の表記のまま「トラビス」に統一しています
(全3回の2回目/#1より続く)
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「UFOで受けた身体調査のせいで……」トラビス、6日ぶりに発見
テストの日の夜おそく、スノーフレークの南隣にあるテイラー村で、グランド・ネフ家の電話がなった。同家はトラビスの姉の嫁ぎ先であった。
真夜中の電話をとったネフは、相手の声があまりにも弱々しく最初はそれがトラビスとはわからなかったという。
「今、ヒーバーのガソリン・スタンドの電話ボックスにいる。負傷しているからすぐに助けに来てくれ」
電話のトラビスは、そう言って頼んだ。ネフはすぐに車を走らせ、スノーフレークのトラビスの家に急いだ。トラビスの母、ケレット夫人が電話をもっていなかったからである。そこには事故発生以来、弟の安否を気づかって、グレンデール市から兄デュエインもきていた。ネフは彼と共にガソリン・スタンドに急行した。
電話ボックスの床に、トラビスがうずくまっていた。すごくヒゲが伸び、やつれ果てた彼は、頭と胸の激痛を訴えた。たぶんUFOの内部でうけた身体調査のせいだろうと言っていた。ひとまずネフの家に落ち着いたトラビスは、喉のかわきがひどいらしく多量の水を飲み、チーズを食べた。しかし、気持が悪くなって吐いてしまった。
兄のデュエインは、大病院で診察をうけるべきだと考えた。そして夜明けを待たずに、車で4時間かかるグレンデール市の自宅に向けて出発した。
ガレスピー保安官がデュエインからの電話を受けたのは、11日だった。
「トラビスが昨夜見つかった。現在はテューソン市の某病院で診断をうけているが、衰弱がひどく、混乱もしている。しばらくはそっとしておきたいので誰にも会わせない。回復したら会わせるし、ポリグラフ・テストもOKだ」
デュエインはこう説明した。しかし保安官はことの真偽を確かめたいと思った。直ちに会わせないと捜査の妨害をしたものと見なす……、こう威嚇されたデュエインは折れた。カメラやテープを用いず、保安官1人だけで、という条件をつけたのだ。
その日の夕刻、トラビスが隠れているというフェニックス市に向かった保安官は、約束通りトラビスの体験談を聴取した。その内容は、翌12日にナバホ郡副保安官ケン・ノーランの口から洩らされ、マスコミに大々的に報じられるところとなった。