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極貧の幼年時代とスピード出世

 李明博氏は1941年、大阪の在日韓国人家庭に生まれた。父親は「島田牧場」という牧場で牛の世話係をしており、「月山」姓を名乗っていた。

 だが終戦と同時に、一家は韓国に戻った。明博は極貧の幼年時代を送った後、夜間の商業高校に通い、苦学して高麗大学に入学。

 卒業後、財閥系の現代建設に入社し、そこで伝説的なスピード出世を遂げる。92年に政界進出し、国会議員を2期務めたのちに2002年にソウル市長に選出。そして、08年に大統領に選出された。

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 大統領就任後は、前任の盧武鉉時代に悪化した日本・米国との関係修復に尽力。08年に天皇陛下と面会した際は、みずから頭を垂れたほどだった。それがなぜ、この期に及んで反日に転じたのか?

「政権末期に入ったこともあり、最近の支持率は就任以降最低の17%まで落ち込んでいます。あえて親日家のイメージを払拭して突破口をつかむために、竹島に行ったという見方が一般的です」(全国紙記者)

韓国の大統領として初めて竹島に上陸した李明博大統領©共同通信社

恩人を裏切り選挙に出馬

 一方で、別の見方もある。

「もともと彼は親日家ではありません。が、反日というわけでもない。企業家出身である彼の行動原理は『実利主義』。要するに生粋のビジネスマンですから、自分の利益のためなら何でもやる男です」(在韓ジャーナリスト)

 先に触れた通り、彼の企業人としての経歴は凄まじい。現代建設に入社後、35歳で社長となり、46歳で会長に就任した。韓国では「サラリーマンの偶像」と称されている。

「91年には、李氏を主人公にした『野望の歳月』というドラマが放映されました。視聴率は40%近く、放送時間に合わせて帰宅する人々が続出するほどの人気を博しました」(同前)

なぜ異例の出世が実現したのか。過去、韓国で経済活動に従事していた人物が明かす。

「極貧の中、少年時代から働きづめでしたから、有能で仕事もできた。でも、一番の要因は現代グループの創設者である鄭周永氏に可愛がられていたことです。その理由は諸説あります。一つには、李氏は学生時代、学生運動のリーダーだったのですが、その時に当時の朴正煕大統領と話し合う機会があったらしい。そのとき朴大統領が感心し、鄭氏に『お前の所に入る李明博という奴はなかなかの人間だから大事にしろ』と直言した。それで鄭氏が『初めて朴正熙に誉められた』と喜んで李明博を可愛がった、との話もあります」

 しかし、大統領選時に現代建設を取材したジャーナリストによると、「現代建設社内では驚くほど嫌われていた」という。それは彼が政界に進出した1992年の出来事に起因する。

「この年、恩人である鄭周永氏が統一国民党を創設し、大統領選に出馬した。しかし李氏は統一国民党ではなく、与党である民主自由党から同年の国会議員選挙に出馬した。恩人を裏切った冷徹さで評判が悪いんです。

 彼の自伝には、『政治家として出馬するのであれば与党から出たい。与党でなければ自分の理想を具現化・実現化できない』と、もっともらしいことが書いてある。逆に言えば、勝ち馬にしか乗らない、ということです」(同前)