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連載昭和の35大事件

トーキー映画襲来! 現代の映画が浸透するまで活躍した”活動弁士”たちの最期の闘い

現代映画とともに消えた”弁士”という職人

2019/08/18

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 歴史, 経済, 働き方, 映画, 音楽

note

「黙って見ていられるか」武蔵館内の不穏な空気

 だから、SP経営になる以上、私たちも追っ払われることを覚悟していた。果せるかな「無論、SPに対しまして、従業員全部引きつぐことを主張致しましたが、どうも貴方がたと事務員だけは困るというのです。あとはみなそのまま引きつぐと云うのです。そこで、貴方がたには非常にお気の毒ですが、他の従業員諸君のためにも、そこのところをひとつお考えになって頂きたいので……」

「いや、よくわかりました。少くとも私だけは承知致しました。しかし、牧野周一君にしても、丸山章治君にしても、それぞれ意見もありましょうから……」

「そこをひとつ、あなたから是非ひとつ、納得のいくようにひとつ……」

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「畏りました。しかし彼等を説きつけるにしましても、ただ漠然と辞職し給えとは申せません。も少し具体的に、――たとえば退職手当なども大体どのくらい出してもらえましょうか?」

「それも出来るだけお出しするつもりですが左様、その件は明後日あたり改めて御相談するとして、とりあえず御両君に話してみて下さいませんか。」

 こんな会話をとり交し、私は早速、御両君にこれを伝えて、それから「ナヤマシ会」の𥡴古に出かけた。「ナマヤシ会」というのは、大正14年に第一回を催し、それから毎年一回宛、青山会館、日本青年館、日比谷公会堂というような所で、私たち山の手の説明者が中心で、映画人、演劇人などの特別出演を得て興行するフザケタ会なのである。

日比谷公会堂(2001年撮影) ©文藝春秋

 これまでは一回きりの興行だったが、どうも収支つぐなわないので、この年は芝の飛行館を借りて、昼夜3日間の興行をすることにしたのであった。

 市島氏に会った翌日がナヤマシ会の初日。その翌日、市島氏の返答を聞くべく武蔵野館へ出かけると、従業員たちの間に、容易ならん気配が感じられた。

 ――説明者諸君がクビになるというのを、われわれは黙って見ていられるか。

 こういう室気が充満していた。いやどうも厄介なことになったぞ、と私はいささか有難迷惑である。不穏の空気なので、市島氏は姿をくらましている。私は飛行館のマチネーにかけつけねばならなかったので、市島氏にはそれきり会わずじまいになってしまった。

新宿松竹館から広まったストライキの内情

 その翌日(6月5日)私は自宅から飛行館に直行して、楽屋でマチネーの顔をつくっていると、牧野周一君が青い顔をしてかけつけた。

「どうもストライキが始まりそうなんですが……」

「そうやっぱり始りそうかね。」

「私たちはどうしましょう。」

「君たちとしては、参加するより仕方がないだろうね。」

 と私は答えた。私自身は、父と約束した手前もあり、あまり参加したくなかった。

 翌朝の各新聞を見ると、いずれも社会面のトップに、大々的に取り扱っている。

さきに大乱闘まで持上った日活の説明者争議が解決したばかりの映画界に、またもや争議が起り業界にセンセーションを起している。昨日曜の5日午後2時頃、新宿武蔵野館に於て、昼間第2回目の興行中、実写物を映写して次の映写に入らんとした際、突如スクリーンに幻灯で「本日より我々従業員は総罷業を決行することになりましたので、これで映写を中止します。皆様に御迷惑をかけてすみませんが、どうか我等の争議に応援して下さい、観客各位」という争議宣告の文字が映写された。これと同時に説明、機械、電気技士、女案内員其他六部員30名は、満員に近い見物人の当惑をそのままにして、一斉に退館すると共に同館持主桜井新治氏に別項の如く21ヵ条の要求書を提出、一同勢揃いして市外角筈新町153の空家に設けた争議団本部に引揚げた。(記事)

 更にまた新宿松竹館も合流し、浅草松竹館にも波及の形勢になった。

 いやはや、大変なことになったものである。どうしてこんな大騒ぎが始まったのだろう? 私は目をパチクリするばかりだ。

 あとで分ったことだが、実は、同情罷業に入った松竹館の方が火元だったのだ。即ち、松竹館の楽士の中に、闘士型の人物がいて、余程以前から組合に加入して、同館従業員の中に、所謂同志を養っていた。その勧誘で武蔵野館にも数名の同志が出来ていた。かねてストを起して、待遇改善を計ろうとしていたところ、丁度、武蔵野館で説明者のクビ問題が起った。得たりとばかり、大いにプロレタリア意識を目ざめさせて、急に武蔵野館従業員をバタバタと加入させ、この方をまず奮起せしめて、而して自分の方も同情罷業と出た次第であった。