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連載昭和の35大事件

トーキー映画襲来! 現代の映画が浸透するまで活躍した”活動弁士”たちの最期の闘い

現代映画とともに消えた”弁士”という職人

2019/08/18

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 歴史, 経済, 働き方, 映画, 音楽

「不都合ニ付解雇ス」届いた1枚のハガキでついた決心

 説明者3人は、6ヵ月乃至8ヵ月の退職手当をもらって、おとなしく引下ることに、観念の眼を閉じていたのであった(と私は今でも思ってる)が、争議団そのものが、

 ――われわれは君たちを救うためにケッ起したんだ。

 という形に相成られてみると、もう自分たちの行動はとれなくなる。

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 まことに憂鬱の極みであったが、私も仕方がない、とにかく一応、争議団本部なるものに出かけて見た。角筈の瓦斯タンク前の、狭いジメジメした横丁を入ると、つきあたりに2階6畳3畳、階下6畳1室という、おそろしく汚ない家があって、これが本部だ。この中に両館の争議団員50名ほどの男女が、ギッシリ詰っているのであった。しかも、この本部の四方は、隣家の便所の汲みとり口で囲まれていて、その悪臭たるや、折からの雨上りであるから堪ったものでない。

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 顔出しをした以上、もう何を云っても始まらない。私は請わるるがまま、一場の激励演説をやらかしたのであった。

 6月7日、市島亀三郎氏より、配達証明のハガキが来て「不都合ニ付解雇ス」とある。これで私もキッパリと争議団の一員たる決心がついた。

映写機2台と7人で立てこもった狭い映写室

 6月11日、午後1時より事務室で、会社側と、争議団との会見があるというから、私も顔出しをせねばなるまいと、武蔵野館に出かけると、驚いた。いつのまにか相談が出来ていて、説明部丸山、電気部須貝、機関部海老原など7名が、2階の映写室に入りこみ内から厳重に戸締りをして、争議解決まで出ないと宣言した。

 私が驚いたくらいだから、会社側でも大狼狽で、新聞はまたしても大々的に書きたて、世間でも大いにびっくりしたらしい。

 映写室は広さ2坪ぐらい。そこに、ウェスタン・エレクトリックの発声装置に、ローヤルの映写機2台がデンと据えてある。その狭い所に7人の勇士が頑張るのである。

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