「強い御心」と「天皇は祈っているだけでよい」の関係
そして、上皇の姿を「その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ」と表現した。「その強い御心」とは何だろうか。上皇は天皇に即位する前、「天皇は、政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っています」と述べ、天皇のあり方を提起していた(「読売新聞」1986年5月26日)。そして、その信念を基に、上記のような「平成流」の象徴天皇制を実行していった。被災地を訪問し、人々の声に耳を傾ける。それは、2016年8月の退位の意向をにじませた「おことば」のなかでも、「これまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と強調されたことである。
とはいえ、退位について議論した政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のなかで、平川祐弘東京大学名誉教授や渡部昇一上智大学名誉教授ら保守派の有識者と呼ばれる人々が、「平成流」のあり方を否定し、「天皇は祈っているだけでよい」という旨の発言をしたことがあった。これに対し、上皇はショックを受けたとされる(「毎日新聞」2017年5月21日)。自らのあゆみが否定されたからである。しかし、新天皇は「おことば」のなかで、そうした「平成流」を高く評価した。「国民と苦楽を共にする」ことを、被災地訪問などを積極的に繰り返して自らの姿をさらすことで人々に示そうとする上皇のこれまでのあゆみにあえて言及し、「強い御心」と形容してそれへの批判をはね除けようとしたのである。「平成流」を自身が継承していくことを示したとも言えよう。