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内閣情報官が「安倍・命」を広言

 現在の内閣情報官は、北村滋氏(80年)である。筆者は面識がないが、予てから能吏として聞き及んでいた。が、第1次安倍内閣で首相秘書官になって以来、政権交代で民主党政権誕生後は、警察庁外事情報部長、総括審議官から、局長、次長、長官の各ポストを飛び越えて一気に情報官に抜擢された。徳島県警本部長時代から北村氏を高く評価していた、地元選出の仙谷由人官房長官の強い引きがあったと警察庁幹部から聞いた。筆者は、1980年代から90年代半ばまでの間、警察庁と警視庁を3度担当したが、北村氏との接点は1度もなかった。特に彼が警視庁を経験していれば、その後のキャリア人生は違っていたのではないかと推察している。案の定、自民党が政権奪還後も安倍内閣で続投し、官邸内で「安倍・命」を広言して憚らないと聞いた時には、何をか言わんや。「政治への中立」を完全に逸脱していると思った。しかし彼に忠告する先輩諸氏は誰もいなかったようだ。

第一次安倍晋三内閣組閣 ©文藝春秋

「政治派」と「中立派」との暗闘の歴史

 確かに、戦後の日本警察には、政治に与して警察権力の拡大を図ろうという「政治派」と、捜査の過程で入手した政治情報を政治利用すれば、結局は警察が政権の恣意的な支配下に搦めとられるだけではなく、国民の信頼まで損ねてしまうという「中立派」との暗闘の歴史があった。

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 警察への介入を当然視した吉田茂首相と真っ向から対立した当時の国家地方警察本部長官・齋藤昇(内務省27年入省、54年初代警察庁長官となる)は、後日回想録『随想十年』の中で、「私は今後の警察は政治情報を取って、内閣に提供すべきものであってはならないと考えていたし、純粋な意味の治安情報は担当大臣に報告すべきものだと考えていたので、私は国家公安委員長に報告するよりも、もっと詳細に敏速に担当大臣に報告することを怠らなかった」と語り、日本の戦後警察に政治との節度を守れという教訓を残した。皮肉にも吉田首相は後日内閣直属の「内調」創設へと動くことになる。

吉田茂元首相 ©文藝春秋