——そろそろインドについてもお願いします。
丸山 名越さん、正直言ってインド好きですか?
名越 いやぁ、どうなんやろ。『バガボンド』の最後に一文を添えたんですけど、「やっぱり分からない」というのが本音です。世代的にゴンザレスさんなら身に覚えがあるはずで、大学生の頃、周りの友人がインドにしょっちゅう行くじゃないですか。帰ってくると、ようわからんこと喋るんですよ。
丸山 名越さんって、大阪芸大出身ですよね? めちゃめちゃ会いましたよ、現地で。大阪芸大の人たちに(笑)。
名越 どっぷり沈没したとか、自慢気に言われてもまったく共感できなくて。精神世界がどうやとか、リアリティがまったくない。目に見えないことには興味が持てない人間なんですよ、自分は。
丸山 インドを旅したのは20歳くらいの頃だったかな。バラナシやカジュラホ、ムンバイのスラムにも行った記憶があります。確かに、当時の日本人旅行者はあからさまに“かぶれよう”という奴らが多かった。カルカッタの日本人宿で、夜な夜なブルーハーツを歌って翌朝にマザーハウスでボランティアをするような感じ。彼らの輪には入れなかったし、入ろうとも思いませんでした。
名越 結果的に13年かけてインドを撮ることになったのも、自分が探したテーマというよりは編集者からの誘いがきっかけでした。唯一、南インドのサーカス団だけは自分が興味を持って現地でゼロから探した被写体でしたけど。
丸山 そんな“ハマれなかった”名越さんが、インドのどこに魅力を感じました? 13年もかけて撮るって余程のことじゃないですか?
名越 2006年、初めてインドへ飛んだ時に、デリーの公園でなかなかパンチのある光景を目撃したんですよ。義足の少年が物乞いしていて、また別の物乞いが彼の義足を思い切り蹴飛ばした。「えぇっ、こんなに容赦なく蹴るんや」と驚いて。この遠慮しない振る舞いが、日常に当たり前にある。衝撃でしたよ。