「満鉄幹部に対し憤懣の色はなかった」
然し出て来たのは副総裁の江口定条氏であり、本庄軍司令官、三宅参謀長と会って月並の儀礼的挨拶があったばかり、林総領事とも会ってアッサリと大連へ帰った。事件の現在将来に関する政策的問題には少しも触れず負傷者の慰問さえもしなかった。そして江口氏は大連で、
「本庄軍司令官も三宅参謀長も別に満鉄幹部に対し憤懣の色はなかった」
と語った。それで我々は、
「軍司令官や軍参謀長は老熟した人々で、態々挨拶に来られた副総裁に怒りの色を表すなどはしたない事はされぬのは当然だ。又江口氏が満洲政策など持ち合せのある人でない事を知って居る為ニコニコと愛想よく応接したに過ぎない。これで軍と満鉄と良くいって居る証左とはいささか呆れる」
との話を大連の満鉄社員倶楽部で社員連中にやらせた。
多くの満鉄社員が「死力を尽して働いて居ます」
勿論これが内田総裁にも江口副総裁の耳へも入った事は確である。内田伯は日本内地、満洲其他世界情勢の推移を静観しつつ今度の事変を如何に処理すべきであるかを毎日考えて居たのである。1日、理事の十河信二(現国鉄総裁)を呼んで、
「東京の中央部と出先関東軍との意見が不一致の儘、関東軍としては敵を前にし作戦を続けつつ電報其他で政府と意見調整を図って居る様であるが、軍は積極的であり、政府は事勿れ主義で収めんとし、現地の満鉄としては容易に動きが取れぬ。それで私が東京に行き政府の意見を聞き、満鉄社内の統一を計らねばならぬと思うが何うか」
と云った。十河氏は、
「総裁は外相の職も経験済みであり、総理大臣代理もやられた日本の重鎮であり外交畑の大先輩です。若槻総理からも幣原外相からも現地の実情と、現在及将来に関する対策を質問されるに極って居ります。現地においては何と云っても在満20万同胞の輿望を荷って満洲3000万人民の安寧を企図し、幾万の軍人と幾千のシビリヤンの有志達を指揮しつつあるのは軍司令部なのです。而も軍司令官は法制上、満鉄に対し軍事指示権を持つ機関です。従って軍司令部の意見と云うものを十分明にして居らねばなりません。故に先ず奉天に行き軍司令官と胸襟を開いて対策を検討せられ、然る後東京政府と接衝して意見を十分述べられる事が必要であると思います」
と主張した。内田伯も直に之に同意し、其旨奉天の関東軍司令部に電話すべく命じた。十河氏は附言して、
「非常に多くの満鉄社員が軍司令部に入って職員となり、事務室内で政策の立案から、現地の活動に迄死力を尽して働いて居ます、又参謀中に各種の立案画策に当って居る者が居ますから、是非是等の者とユックリ懇談せられる必要があります。軍病院の戦傷患者の慰問も忘られぬ事が肝要です」
と云い、内田伯は一々之を了承して奉天に向ったのである。