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連載昭和の35大事件

悪名高い軍人・花谷正が語る、「ゴム人間」内田康哉外相が“満州国承認”を強行するまで

「満州事変」と、その後

2019/09/15

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, 国際

note

「満鉄の財産全部を投じても諸君に協力する同志となる」

 奉天ヤマトホテルに一先ず落ちついた内田総裁は満鉄関係の人を呼んで奉天の情況、軍司令部の様子を聞いた上、本庄軍司令官を訪れ、事件発生以来の軍諸機関の敏速なる活動と機宜に適した数多の処置とを賞讃し、其労苦と心労とを犒った上、三宅参謀長を交えて時局に対する要談をなし、軍病院に傷病兵を見舞い、ヤマトホテルの特別室に帰り、軍司令部の幕僚板垣大佐(後の板垣大将)、石原中佐、竹下中佐、それに私の4人に午後3時よりヤマトホテルで会見したいと申込んだ。4人は快諾して約束の時刻に総裁の部屋を訪れた。私は先ず地図を開いて満洲全般に亙る日満両軍対立の状況、イルクーツク以東浦塩に及ぶソ聯軍の配置、熱河省以遠支那本部に於ける張学良軍及南京政府軍の情況を述べ、此事変勃発を契機として日、満、漢、蒙、鮮五族を基幹とする民族協和の新天地を作り交通に産業に、政治に、教育に大発展をする様な新国家を仕上げねばならぬ。勿論日本は満洲を領土とする意志があってはならぬと結んだ。

板垣征四郎 ©文藝春秋

 次いで、石原、竹中、板垣等が夫々自らの経綸、抱負を述べたのであるが、この間、4時間以上に亘り熱心に聴いて居た内田伯は一々首肯し、「其様な諸般に亘る構想が練られ、他民族をも含む多くの人々と、従前から交わりが窃に結ばれ、強大な武力が現在迄に把握せられ、諸計画の大綱が出来て居るとは夢も知らなかった。

 私は嘗て外務大臣もやり、総理大臣代理もした者であり乍ら、日本民族及満洲3000万民衆を厚生さす其様な具体的な雄大な計画を考えたことも作ったこともないのは、誠に諸君後輩に対して面目次第もない。能く腑に落ちる様に将来の事迄胸襟を開いて話して下さった。外国に対しては秘密な事ばかりの様だが外務省は固より、陸軍の中央部でも一部の人々を除いては自分で研究し、立案して見識を持って居る人は少いであろう。それだから事に当って危ぶみ遅疑するのだ。私も老軀に鞭打って只今以後、関東軍に全幅の信頼をよせ、満鉄の財産全部を投じても諸君に協力する同志となる。一緒に夕食を取ろう。」

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内田康哉 ©文藝春秋

「俺も九州男児じゃ」

 別室に秘書が既に食事の準備をさせて居た。老伯爵は秘書に命じて、大コップとウイスキーとをボーイに出させ、

「此の年になる迄、今日の様な愉快な感じになった事がない。私の決心が決った以上老軀を提げて大にやるゾ、乾杯」

「私は陸大の学生で中尉の頃、閣下は外務大臣でした。其頃新聞や世間では閣下をゴム人形と申して居ましたネ。どうか上京せられましても総理や、枢府の老人や元老に会われ、無為の安全論にヘコマヌ様に、お願します。誠に失礼な言い分ですが」

©iStock.com

「俺も九州男児じゃ」

 服の釦をはずし下腹迄出しポチャポチャ叩き乍ら微酔と共に益々上機嫌だ。子か孫の様な者から何と言われても可愛くなったものらしい。老いの一徹、老人仲々意気盛んだ、と感じた。

 辞去せんとすれば「今夜、此の感激を乱さぬ為他の誰にも会はぬ。皆一度に帰らずに半数位は残れ」との事にて板垣大佐と筆者は残って更に歓談した。