激動の昭和を舞台に小説を書き続ける作家・中路啓太さんが最新作『昭和天皇の声』(文藝春秋刊)を刊行しました。ある新聞書評では、「歴史書とは違う『歴史大衆小説』の良さを改めて感じさせてくれた一冊」と評され、話題に。中路さんが、「作家が歴史を描く意味」についてじっくりと語ります。聞き手は、近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。(全2回の1回目/#2へ)

中路啓太さん

「君は研究をやっているのかね」と言われたこともあります(笑)

——中路さんはアカデミズムのご出身で、大学院の博士課程まで進まれたそうですね。そういう背景をお持ちの方は、概説書やノンフィクションを書くケースが多いと思いますが、なぜ小説を書く仕事を選ばれたのでしょうか。

中路 アカデミズムといいましても、私は美学芸術学科で思想系なんです。だから特に学問的に歴史の文献を読んでいたわけでもないんです。しかも、研究者生活に少々くたびれて(笑)、研究室を離れた後、小説を書いて応募しましたら、小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し、デビューすることになりました。

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——そうだったのですか。ちなみに、美学で思想系というのはどういった研究をされていたのですか?

中路 禅の思想と芸術の体験との関わりを研究テーマにし、禅籍を読んでいました。古文漢文は得意でしたから、図書館で、研究テーマとは関係のない、古い歴史の文献も趣味として読んでいたのですが、それを教授に見つかって、「君は研究をやっているのかね」と言われたこともあります(笑)。

小説とは下品なものだと思っている

——学術論文と小説の違いはどういう部分なのでしょう。特に歴史小説ですと、単なる小説と違って、資料の束縛もあると思います。一方で小説ですから想像で描ける部分もある。そのあたりのバランスは、どういうふうに取られていますか。

聞き手・辻田真佐憲さん(左)

中路 論文は厳格なルールに従って書かなければなりませんが、小説は本性上、いかがわしいものです。わかりやすいストーリーにしようとすればするほど、政治的、思想的にある特定の立場に寄っていってしまう。良い人と悪い人を配置したほうが盛り上げやすいからです。そうすると、史実から外れていきますし、倫理の面でいかがわしくもなります。そういう意味で、小説とは下品なものだと、思っているんです。

 ストーリーの構造にどっぷり浸かって書こうとすると、話はわかりやすくなるけれど、史実から外れる。史実だけをきちんと辿っていこうとすると、ストーリーの構造から外れていくため、話がわかりづらくなる。ストーリーをそれなりに作動させつつ、史実に沿うためにはどういったバランスがいいか、ということに毎回苦心しています。

 ただ、ストーリーの構造は、小説だけでなく、論文やジャーナリスティックな記事をも支配していると思うんですね。だから小説を執筆しながら、「この世を支配しているストーリーとはいかなるものか」ということを常に考えていますね。