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歴史をベースにして文芸作品を書きたい

——歴史をノンフィクションで伝えるか、小説で書くか。この対比で「小説はエンタメにすぎない」という考えの人もいれば、「いやいや、教訓を引き出せる」という意見の人もいますけれども、中路さんはどう思われますか?

 

中路 歴史上の人物の人生にふれて、「現代に生きる私たちも頑張ろう」という教訓もあってもいいと思いますが、私は少し違います。歴史小説を読むことが、現在に山積する様々な問題を考えるうえでの切り口のひとつになればよい、という程度の考えでしょうか。

——そういうときに、実証史学系の新書を読むと効率よく歴史を知ることができる。けれども、小説というのは良くも悪くもワンクッションある。悪いというのは、物語はフェイクの部分もあるので、変に参考にすると危ないということですが。

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中路 その通りだと思います。私は、特に教訓を得てもらいたいと思って書いているわけではないので。私は、歴史をベースにして文芸作品を書きたいというだけなんですよね。

人間は、物語なしでは生きられないのではないか

——歴史修正主義的な本が増えてきた反動だと思いますが、物語に極端に不寛容な見解も見受けられます。「事実だけを書けばいいんだ」、「実証史学の方法論こそ優位だ」といった立場もあります。

中路 アカデミズムの外に出て何か発表しようとすると、さきほどから、「品が良い、悪い」の話をしていますが、やはり商業ベースに乗せなきゃいけない面もあります。そうすると、アカデミズムのルールの中にいる方々からすれば、「ちょっと気にくわない」というのもわからなくないですね。

 

 ただ、さきほども言いましたが、ヒストリーという言葉にも、物語という意味が含まれているように、論文としてまとめるときに、ストーリーの構造を全く入れずに書くということは無理であって、つまり、実証史学そのものに、物語の面があるともいえると思うんです。

——それは、論文をまとめるときに取捨選択をするので、そこに物語的な想像力が入るだろうということですか。

中路 そうだと思います。

——中路さんご自身がアカデミズムの中にいらっしゃったからこそ、そう感じられるのでしょうか?

中路 それもあるかも知れません。私が在籍していた頃の大学の研究室にも、熱心に「物語批判」を行っている人たちがいました。そのこと自体は理解できるのですが、でも人間というのは、物語なしでは生きられないのではないか、と当時も思っていましたね。

——あまりにもでたらめすぎる物語はダメだけれども、実証主義一辺倒みたいなのも、無理があるだろう、と。

中路 生きていくうえでは物語は必要だけれども、物語には警戒しなきゃいけないよ、というのが人間の宿命的な在り方ではないかと思います。