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日本人ほど「独裁」が嫌いな人たちはいない――作家・中路啓太が考える、天皇の役割

2019/09/23
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ベルリンの壁が崩壊したとき、すぐにヨーロッパへ飛んだ

——以前は大統領制のようなものもいいと考えておられて、今は、合理主義に対する懐疑をお持ちになっている。それが切り替わるきっかけはあったのでしょうか。

中路 様々な要素があってのことですので、難しいですが、理由の一つは、東西対立が終わったことでしょうか。人生の中でもっとも驚いた出来事でしたから。20世紀のはじめまでは、国家同士の利益関係の変化に応じて同盟関係も変遷し、多くの国家が離合集散を繰り返していました。ところが、冷戦期においては、同盟関係や対立構造はほとんど変わっていません。それは同盟や対立が単なる利害によってではなく、思想によって形成されたものだからだ、というのが世界史の常識であったわけです。そのような強固な対立が、自分が生きているあいだに終了するとは思っていませんでしたから、ベルリンの壁が崩壊したとき、大学の学部生であった私は、すぐにヨーロッパに飛んで、1カ月半ぐらい滞在しましたね。

 

 東側陣営が信奉していた共産主義は、合理主義と言えます。これだけの人口に必要なカロリーを生産するには、これこれの食物をこれだけ作らなければならないと計算し、それを実現するためには、米や麦の名産地であっても、強制的にトウモロコシを作らせたりする。農民たちが長年、耕していた土地を奪って集団農場にする。また、宗教は人民の阿片であると言って、教会を潰す。権力の側からすれば、そうした政策は合理的であり、反抗する者は不合理であるわけです。けれども、先祖代々、耕してきた土地に愛着を持ち、また自分たちが作ってきた作物のおいしさに誇りを抱き、苦しくなったら教会に行って神に祈りを捧げたくなるのが人間です。人間はそういう「不合理」な存在なわけですが、共産主義という合理主義はそれを否定するわけです。そして結局、共産主義陣営は敗北しました。

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不合理な存在であっても、長く続いているものには役割がある

——終わらないと思っていた東西対立が終わってしまった衝撃ですね。エッセイの中で、中路さんは、天皇に対して「悠久」という表現をしています。

中路 不合理な存在であっても、長く続いているものには、社会を安定させるための何らかの役割があるのだと、考えています。

——悠久の価値を持つ天皇と、一方で、合理的に動かなければならない局面がある我々の社会。この二つは、どういう関係にあるのでしょうか。

聞き手・辻田真佐憲さん(左)

中路 これまた難しいですね。合理主義の考えでは、廃墟の上に理想を立てよ!と言われたりもします。私が思うのは、昔ながらの建造物をすべて壊して、鉄筋コンクリートで新しく建てるのではなく、例えば京都の町家のように、暑い夏でも涼しくすごせる建物を生かしつつ、ただ、いくらなんでも暑すぎるから一部の部屋にはクーラーをつけようというような考え方がいいのではないかと思っています。昔ながらのものを活用しながら、必要であれば変わっていこうという考えです。そういう意味では私は、漸進主義的保守主義者なのでしょう。天皇制についても、私はそういう風につきあっていくべきだと感じています。