「君主は倒されるべきもの」とは少し違う、日本の天皇
——「役に立たなくていい」という話の流れですから、また少しずれるかもしれませんが(笑)。中路さんはエッセイの中で、天皇のような存在がいるからこそ、災害にあったときも、励まし合って協力できるのではないか、と書いてらっしゃいます。日本では、天皇に対してすごく肯定的な人も増えていますが、一方で、否定的な人も多くいます。否定的な方々に、天皇の意義を訴えるとしたら、どういった観点からでしょうか。
中路 否定的な人に天皇の意義をどう訴えたらよいかは私にはわかりませんが、私の若い頃にくらべて、否定的な人が多いようには思えません。海外の記事で、「天皇制に反対の人が減っている」というものも読みました。世論調査などを見ても、若い人も含めて、天皇に親しみを感じている人が増えているようです。この結果は、イデオロギー対立がなくなった影響が大きいのではないでしょうか。
マルクス主義的な歴史観でみれば、「君主は倒されるべきもの」だったわけですが、日本の天皇は、そういった君主とは少し違いますよね。一説には江戸時代の大衆の多くは、「天皇がいる」ということすら知らなかったという話もあります。君主として意識されず、憎しみの対象でもなかったわけです。その後、マルクス主義思想が出てきて、戦後は東西思想対立と、帝国主義的侵略戦争についての戦争責任ということと関連づけられて、かつては、「思想的に天皇はけしからん」という意見が多かったのでしょうか。
新たなパラダイムで権力者を分析すべきである
——中路さんのこれまでの著作を見ると、近現代を舞台にしたものに関しては、政治家や官僚、天皇など、権力側を描いてきているように感じます。私たち小説を読む側にとっては、反権力の人の物語はわかりやすい。権力側は常に「一枚岩」で、庶民を弾圧する悪しき存在というのが、ありがちなストーリーだと思います。ところが実際は、権力者たちにも様々な利害関係があり、心の揺れがある。『ミネルヴァとマルス』で中路さんが描いた岸信介の例が典型ですね。
中路 辻田さんがおっしゃるように、権力者という存在は、そんなに単純なものではないと思います。例えばですが、太平洋戦争を語るときに、東条英機を悪者のように言いますよね。じゃあ我々が東条の立場になったら、戦争を止めることができたか、ということです。
——東条や軍部が悪かった、というのは中路さんのいうところの「都合の良いストーリー」ですから、それは強固なんでしょうね。
中路 私は単純に権力者を肯定したいわけでもないですし、庶民の物語を書きたくないわけでもないのですが、新たなパラダイムで、権力者を分析していく必要があると思っています。「民衆の思うとおりに物事を決めていけば戦争は起きない」という考えに対しても、必ずしもそうとは言えないと思うんです。