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連載昭和の35大事件

「水、水、水」と叫びながら殺された兵士たち 悲惨すぎる戦争の始まりだった“ノモンハン事件”の裏側

終戦時でも浮き彫りになった“軍部の醜さ”

2019/09/22

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, 国際

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対等の兵力になると信じていたが……

 服部は辻より2年先輩である。辻の如く我武者羅な所がなく、諄々として説く言説にはいつか相手を引込む魅力を持ち、辻を「力」を以て表現するならば服部は「智」を以て評さるべく、しかも東北人特有の粘りと芯の堅さがある、服部と辻とが一体となれば、その向うを張り得る者はないといってもよい程であった。この2人は2年後に太平洋戦争を控へて服部は大本営作戦課長、辻はその下の作戦主任であったことは人の知る処である。

 陸軍の中央部と関東軍とは事件解決策を繞って正面から対立した。こういう空気の中にも現地では連日死闘が繰返され、双方とも戦力は増強されたが、わが方では小松原師団が山県支隊の敗戦以来士気頓に衰へ、到底外蒙軍に対抗する実力はない。そこで第七師団の一部と戦車二聯隊を小松原の隷下に入れて地上軍を増強すると共に儀峨中将の統率する飛行第2集団の大部分を挙げて空中から援護させることにした。これによって最も劣勢だった火器も112門となり、戦車70輛、自動車400輛、そして第一線機は180機を算するを得たので、ほぼ敵と対等の兵力になると信じていた。

服部卓四郎 ©文藝春秋

 所が実戦に臨んでみると敵の兵力は遥かにわが方を圧し、辻参謀によると約五倍、服部参謀によると約7倍であることが判った。殊に火砲に至っては大口径の長距離砲が300門は下らず、これに山砲、速射砲が戦線近くに並べられている。一度ひどく叩かれた軍隊は仮令それに兵力を補充しても心理的に敗戦意識が先だち士気が振い立たないものである。小松原師団もまたその例外でなく、如何に師団長以下の幕僚が気負い立っても、戦場にある兵隊は気おくれがする。

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「こうなっては已むを得ない」一大攻勢に転じようと決心

 そればかりではない。最初のほどは勇敢なる兵の肉迫攻撃によって鹵獲された戦車も、その後は幾らガソリン壜を投げつけても炎上しない。重要部分にはちゃんと金網が張られてガソリンは金網によって防がれる。戦車も小型は殆ど姿を没し中型大型となり、余程至近距離に引きつけなければ山砲弾くらいは撥ね返してしまう。これに反してわが戦車に対してはピアノ線で作った鉄条網を縦横に張り廻らして、一旦この網に入ると、キャタピラの中に線が喰いこみ速力は落ち遂には擱挫する。進退谷っている所を砲火を集中されては手の施しようがない。

八九式中戦車 ©文藝春秋

 また航空戦術も変化し、初めは相当の高度を以て襲撃して来たからわが偵察機のみならず地上からも早期に発見することが出来たけれども、次第に高度を落し、地上すれすれに戦場に現われ呀っといふ間に爆撃銃撃をして反転してゆく。わが戦闘機が発見して追躡しても奥深く逃げこんで捕捉することが容易でない。

 敵機は戦場のみでなく満領内のカンジュル廟やハロンアルシャンなどにも侵入し、後方に集積している糧食とか弾薬を爆砕し、嫩江の鉄橋まで爆弾を投下するようになった。わが方は外蒙領内への進攻は中央から固く禁ぜられているので、対抗策がない。こうなっては已むを得ない。中央の方針にばかり従っていては敗戦の連続だ。軍司令官の命令を以て一大攻勢に転じようと決心をした。