敵情偵察不十分による「全滅の悲劇」
聯隊長は乗馬部隊と装甲部隊を率いてノモンハンに馳せつけると外蒙軍は多少の抵抗はしたが、漸次ハルハ河を越えて外蒙領に退く。それを飛行隊が上空から爆撃したので、この一戦は完全に勝った。そこで満洲国軍に守備を命じて東聯隊はハイラルに引揚げた。これが16日である。
東聯隊が引揚げると外蒙軍は直ぐその後を追ってまたハルハ河を渡って来た。そこで小松原師団長は山県歩兵聯隊長に東騎兵聯隊と聯隊砲を附して一支隊を編成し第2回目の撃攘に向わせた。このときは外蒙軍は騎兵部隊ばかりでなく、戦車、装甲車を繰り出し、飛行機も満領内に進入して偵察し、爆撃をする。本格的戦闘の様相を呈して来た。山県支隊長は東騎兵隊戦勝のあとを承けて出動したので「外蒙軍など鎧袖一触」だと不用意に掛ったので、すっかり外蒙軍の包囲に会い、歩騎兵間の聯絡を断たれ、東聯隊は聯隊長以下殆ど全滅してしまった。これは山県支隊長の大失敗であると共に、小松原師団長の敵情偵察不十分によるものである。
山県支隊が大打撃を受けて敗退したという報を受けて関東軍司令部の作戦課は色めき立った。最初は簡単な越境事件として軽視し、局地的に解決できると信じていたのが、今や外蒙軍というのは仮面で、明らかにソ聯が書き卸した挑戦状だということがわかった。ソ聯がその気でいるのなら、こちらにも覚悟がある。徹底的に粉砕してやらねばならぬと決意し、その旨を参謀本部にも報告した。参謀本部は驚いて事件不拡大、局地解決の方針を指示して来た。
必ず旋風を巻き起す問題人物・辻政信
これに対し関東軍の幕僚の中には、参謀本部の主張を是認する者もあったが、作戦課の空気は次第に主戦論に傾いて行った。その主唱者は辻政信少佐である。辻参謀の主張は局地解決勿論結構である。然し、早期に局地解決するには関東軍の実力を敵に満喫させるのが近道である。下手に弱腰を見せると、どこまでも追打をかけて来るのがソ聯の常套手段だ。ノモンハンを敵手に委ねることは、やがて興安嶺以西の内蒙吉を併呑されることになろう。更に足許を見透かして東部から北部から手出しをさせる結果になる。玆では徹底的な撃滅戦の強行のみが、解決の唯一の途であるというのであった。
作戦課長寺田大佐は、参謀本部から転任して間もないから中央部の空気はよく知っている。初めは不拡大方針を執っていたが、作戦主任の服部卓四郎中佐が辻参謀の説を支持し、村沢、島貫の参謀連もこれに同調する。殊に航空班の三好中佐が熱心な主戦論者である。
辻は関東軍に転ずる以前から、彼の行く所必ず旋風を巻き起す問題の人物である。その頭脳と弁舌は如何なる論敵も圧倒するのみならず、実行力に至っては何人の追従をも許さない。ノモンハンに砲声のあがるや、時を移さず現地に出現し、戦況を視察するだけでなく、戦場に赴いて聯隊長を叱咜し、中隊長を指揮する。上海事変、山西作戦と実戦の経歴を持ち、機宜に適した助言や処置をするので、戦歴のない将校たちは一目も二目も置く。また軍司令官植田大将は上海事変の第9師団長であり、辻はその下に一中隊長として奮戦したので植田の信任殊に厚く、参謀長磯谷廉介中将に対してはその聯隊長時代に聯隊旗手を勤めているという特殊の関係があるから、辻の主張は概ね上層部で採用される。地位は一少佐参謀であるが、実力は課長以上に評価されていた。