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連載昭和の35大事件

「水、水、水」と叫びながら殺された兵士たち 悲惨すぎる戦争の始まりだった“ノモンハン事件”の裏側

終戦時でも浮き彫りになった“軍部の醜さ”

2019/09/22

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, 国際

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地上撃破25機、撃墜99機合計124機の大戦果

 6月20日小松原師団長に攻勢準備命令を伝える。儀峨集団長には全力を挙げて敵の根拠地タムスクを急襲し制空権の確保を命じた。そして事前にこれが中央に知れては中止を命ぜられるから計画は極秘の裡に進めるが、さりとて全然参謀本部に連絡しないでは後難が面倒だとし、島貫参謀を東上させて計画を報告させる。しかもその報告する時刻と空襲決行時とをマッチさせる必要がある。報告が1時間でも早ければすぐ中止命令に接する。千番に一番のかねあいである。

 こういう事情を勘案してタムスク爆撃は6月27日早暁と決定した。

 北国の夏の夜は早くあける。午前4時ごろになればもう明るい。第12飛行団長東少将は戦闘機約80機、第七飛行団長宝蔵寺少将、第九飛行団長下野少将は重爆軽爆約60機を率いてタムスク爆撃を敢行するため、それぞれの基地を発し、午前6時頃鵬翼をそろえて国境線を突破、一路西を指して飛ぶ。高度3000メートル、上空は寒気が身に沁むが誰も決死の爆撃行だから寒さなど覚えない。誘導する戦闘機群に従って黙々とついてゆく。敵機はまだ現われない。

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奥地攻撃に向かう日本軍戦闘機 ©文藝春秋

 午前7時目指すタムスクの上空に来た。見下ろせば敵機が銀翼を連ね朝日を受けて地上に眠っている。飛行場上空を通過したわが編隊はグルッと180度反転するや編隊長から爆撃命令が出た。爆弾は生命のあるもののように一発一発飛行場に吸いこまれてゆく。8時少し前それぞれの基地に帰投したが、数えてみるとわが方にも4機の未帰還機がある。直後に綜合した所によれば地上撃破25機、撃墜99機合計124機という大戦果であった。

「戦場を馳駆した者の判断の方が正しい」関東軍の伝統

 参謀本部では島貫参謀の報告と、有末中佐からの電話連絡によって越境爆撃の事実を知り、参謀次長以下色をなして激怒した。あれ程厳重に越境爆撃を禁じているのに、事もあろうに関東軍飛行隊の大部の勢力を傾けて実施するとは狂気の沙汰である。稲田作戦課長は関東軍に電話して寺田課長を呼び出した。寺田は今日の戦果に対する祝詞でも受ける心算で気軽に受話機を握り「やったよ、大戦果だ、これで当分敵機の跳梁はなくなるだろう」と上機嫌で報告し始めると、「何が大戦果だ、あれだけやかましく言っていたのに何たることをやったのだ、この報復がないとでも思っているのか、馬鹿な!」と大変な権幕である。寺田の紅潮していた顔は見る見る青ざめ、昻奮した唇はわなわな顫える。

 その時のことを稲田は回顧して「実際腹が立った。余りに中央部を無視しすぎたやり方だ。電話口には服部中佐や辻少佐もいる様子であった」という。中央が何といっても、いざとなれば現地軍で引摺れる。机上の作戦論よりも、戦場を馳駆した者の判断の方が正しいとするのが関東軍の伝統である。参謀本部では植田軍司令官や磯谷参謀長を動かしているのは寺田大佐でもなければ矢野参謀副長でもない。1人の辻参謀だと睨んで、板垣陸相に辻の更迭を進言した者もあった。辻は有能ではあるけれども現在の関東軍参謀としては不適当だというのであったが、板垣は「まあ、いいじゃないか、余り辻を過大評価しているのではないか」と同意しなかった。