萩原健一は一九七〇年代前半、時代の象徴的な存在であった。挫折感や敗北感を引きずった、当時の孤独な若者像をほぼ地のままに表現してきたためだ。それは、映画―テレビ、現代劇―時代劇を問わず、一貫したものであった。
そのため、没後もその時期の作品や演技について語られることが多い。が、「文藝別冊」での特集ムックで萩原のフィルモグラフィを改めて検証しているうちに、そうした等身大の若者役の他にも数多くの魅力的な役柄を演じてきたことに気づかされた。
今回取り上げる『影武者』も、そんな一本である。
この黒澤明監督による超大作の歴史劇において、萩原はこれまでの自分を捨て、黒澤ワールドに染まろうとする。
舞台となるのは戦国時代。本拠地の甲斐から上洛を目指す武田信玄(仲代達矢)はその志半ば、遠征先で命を落とす。その死を敵に隠すべく、信玄にそっくりの盗賊(仲代=二役)が影武者に仕立てられる。そして、信玄の弟・信廉(山崎努)ら重臣たちがそれを支え盛り立てる形で危機を乗り切ろうとする。
萩原が演じるのは、信玄の子・武田勝頼。本来なら跡を継ぐべき立場なのだが、その若さのため百戦錬磨の重臣たちから半ばないがしろにされてしまう。それが彼の心を歪ませていくのだが、その芝居が実に見事だった。
偉大な父へのコンプレックス、軽んじた扱いをしてくる重臣たちへの苛立ち、そして盗賊を「父」としていただき頭を下げなければならない屈辱――。そうした抱え込んださまざまな負の感情を、異様にギラついた眼差しと全身から放つピリピリした緊張感をもって演じていた。
そんな萩原と、仲代、山崎に加えて重臣役の大滝秀治や室田日出男といった名うてのベテラン役者たちによる悠然とした芝居とが鮮やかなコントラストを描き、勝頼の危うい若さがより立体的に浮かび上がる結果となっていく。
クライマックスは最強を誇る武田騎馬隊が長篠の戦いで織田軍の鉄砲隊の前に無惨に討ち死にしていく様が描かれる。その無謀な決戦へと勝頼はなぜ武田軍を向かわせたのか――。そこに至る鬱屈とその爆発を萩原が完璧に演じているため、その狂気とも思える決断が必然の流れとして映し出されていた。その結果、やがて迎える悲劇を避けられないものとして観る側に痛切に叩きつけてくることに。
そこには等身大の若者の姿はない。馬上で猛る、勇ましい武将になりきっていた。
「地のまま」だけではなく、「役を演じる」こともできると証明したい、萩原の表現者としての想いが伝わってくる。