1982年作品(134分)/バップ/3800円(税抜)/レンタルあり

 九月二十五日に発売された「文藝別冊 萩原健一」では十名の関係者にインタビュー取材させていただいた。その中に、伊藤俊也監督がいる。

 伊藤監督とは映画一本しか組んでいない。その一本が今回取り上げる『誘拐報道』。「俳優・萩原健一」が最高の演技を見せた作品だと思っている。

 萩原が演じるのは、喫茶店経営が行き詰まり、借金返済のために娘の同級生を誘拐した男。誘拐犯とその家族、被害者家族、警察、マスコミ、それぞれのドラマが描かれる。

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 面白いのは、誘拐事件が発生してからしばらく、萩原はその姿をなかなか現わさないことだ。ようやく登場するのが三十分過ぎ。雪の降る日本海の荒波をバックにした電話ボックスから脅迫電話をかける場面なのだが、ここでのフードを被った姿でたたずむ萩原の姿は実にクールでカッコいい。

 それが終盤になると、同じく電話ボックスでの脅迫シーンでも全く異なるものになっていた。「子供もてあましてるんや!」「扱いに困ってるんや!」「十円玉があらへんねん!」と情けない声で追いつめられたように泣き叫ぶのだ。

 その間に何が起きたのか――転機となる重要な場面がある。物語中盤、犯人は少年を殺すためズダ袋に入れて海に投げ込もうとする。この時、袋の中から「おしっこ――」という少年の声が聞こえてきた。ここで犯人は少年を袋から出して小便をさせてしまう。それにより、情が移ってしまい殺せなくなる。この躓(つまず)きをきっかけに犯人は徐々に追い詰められていくのである。

 これを演じる萩原は見事だった。当初、伊藤は少年が小便を出す段階でカットを割り、小便が雪を解かす様を撮ることで生命の温かみを表現しようとしていた。が、いざ本番となると小便が出ない。すると萩原は「シーシー」と囁くように言い聞かせながら少年の股間を擦ってあげたのだ。

 結果、小便は出たのだが、このアドリブの温かい雰囲気に感心した伊藤はそのままカメラを止めなかった。芝居を続ける萩原は、少年を抱き締め、背中を優しく撫でた。情が移ったことで殺せなくなるという芝居を、当初の予定よりも遥かに説得力あるものに昇華してのけたのである。

 そして、ここからどんどん情けなくなっていき、終盤の電話ボックスで頂点に達する。

 その人間味あふれる演技がとにかく素晴らしい。特に、脅迫電話をかけにいくガソリン代もなくなり、妻(小柳ルミ子)にせびる場面。床にぶちまけられた金を必死にかき集める惨めさたるや。ここまで堕ちた感じを出せる俳優はそうはいないだろう。

 名優・萩原健一の演技をとくと味わってほしい。

泥沼スクリーン これまで観てきた映画のこと

春日 太一

文藝春秋

2018年12月12日 発売