その声、主人公に自分を重ねられない観客たちを受け止めるように、『なつぞら』には多くの女性像が描かれていった。キャリア志向に乗り切れない心を受け止めるように、渡辺麻友が演じる心優しい茜が描かれ、「そう、いつもああいう要領のいい友達に面倒を押し付けられる、茜はなんてかわいそうで健気なの」と共感を集めた。
キャリア志向の観客たちは麻子に心を重ね、「男の社員はみんな奥原なつみたいな若い子にデレデレして、女一人で頑張ってきたマコさんは…」と嘆きの声があがった。
奥原なつの生き別れた妹、明るい主人公へのアンチテーゼのように影をまとった千遥を演じる清原果耶が満を持して登場した時のSNSの「アンチなつ」派の歓声と声援は、ほとんど宿敵NYヤンキースを地元ボストンで迎え撃つレッドソックスファンのような熱狂の域に達していた。「調子に乗るんじゃないよ奥原なつ! ダム・ヤンキース!」というわけだ。
『なつぞら』というドラマや主人公に反発するタイプの人々が、そこに登場する周辺の人物たちに対しては深い共感と感情移入をするという奇妙な現象は、たぶん大森寿美男がこっそりと意図していたものだったと思う。朝ドラの主人公には、時に反感や憎悪までハリケーンのように巻き上げる力が必要で、そしてその渦巻く賛否の中心で泰然としていられるからこそ、主人公は主人公と呼ばれるのだろう。
『なつぞら』が日本社会にもたらした変化
100作目の朝ドラ『なつぞら』は、視聴率的にもまずまずの成功を収めた。放送された半年間には多くのことが起きた。日本アニメ黎明期に多くの女性が存在したことが描かれ、奥山玲子と同じように、主人公奥原なつは結婚しても出産しても旧姓のまま仕事を続けた。代わりに育児をする夫を中川大志が魅力的に演じ、放送された夏休みに多くの十代のファンがそれを見た。
福地桃子や山田裕貴ら、若い俳優たちが国民的にブレイクした。吉沢亮が演じた「天陽くん」のモデル、神田日勝記念美術館の入場者数は例年の4倍にも上っているという。
アニメ部分を担当した『ササユリ』の代表を務める女性、舘野仁美氏(彼女のジブリ回顧録、『エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ』は名著である)が経営する西荻窪の「ササユリカフェ」には、子供をつれた多くの家族が連日訪れ、訪問者ノートは子供たちの描いたなっちゃんの絵で埋まった。そして舘野氏が抜擢した刈谷仁美という22歳の若き女性アニメーターが全国的に名を知られることになった。
「台本の表紙を描いたらキャストの人に評判が良くて、嬉しくなって26週分全部描いてしまった」と笑い、101作目『スカーレット』の戸田恵梨香へのプレゼントの絵まで描いてしまう刈谷仁美の若い体力と才能は、舘野仁美の語るように、なんて『なつぞら』の主人公に似ているのだろう。