そして最も重要なことだが、奥山玲子に関する著書がいくつも復刊された。奥山玲子の貴重なインタビューを収めた名著『日本のアニメーションを築いた人々』は、著者の叶精二氏によれば朝ドラによって復刊希望の声が殺到し、そして8月25日に刊行されるとたった一か月で重版がかかった。『奥山玲子銅版画集』が刊行され、39年前に出版された絵本『おかしえんのごろんたん』が復刊した。
僕はそれが朝ドラブームによる一時的な現象だとは思わない。あえて言うなら、現実の奥山玲子は『なつぞら』の何十倍も魅力的でインパクトにあふれた女性である。「事実は小説より奇なり」というのは当然のことで、だって現実の奥山玲子は、視聴率やNHKのコードを気にして生きる必要なんてなかったのだから。
奥山が「残念なことに才人は全て男性でした」と語った真意
もしもあなたが『なつぞら』をきっかけに奥山玲子に少しでも興味を持ったのなら、どうかネットの上のテキストを拾い読みするだけではなく、叶精二著『日本のアニメーションを築いた人々』の152ページを開いてみてほしい。そこでは奥山玲子がインタビューで「横を向けば大塚、楠部、永沢(詢)、月岡(貞夫)、林(静一)、宮崎と天才・異才ばかりという職場環境で、私は常にコンプレックスを抱えていました。残念なことに才人は全て男性でした」と語っている。
「残念なことに」という言葉には、本来はそうではないはずなのだが、というニュアンスが含まれている。本来ここにいるはずだった女性の天才たち、時代や環境に夢を阻まれ東映動画に辿りつくことのできなかった女性の異才たち、もし「彼女たち」が自分のようにペンを握ってここにいたらという思いで奥山玲子は「残念」という言葉を選んだのだと思う。奥山玲子の戦いの相手は、企業としての東映だけではなかったのである。
『なつぞら』が東映動画の激烈な組合闘争を矮小化した、奥山玲子の激しい生涯を薄めたという批判は、ある面ではその通りだと思う。でもあえて言うなら、『なつぞら』は奥山玲子の生涯を「薄めた」その分だけ、大衆という巨大な分母に向けて、奥山玲子の名を広めた。NHK往年の名番組『プロジェクトX』も取り上げなかった奥山玲子の名を、今は多くの人が知っている。
講談社から刊行された『漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一』の中では、宮崎朱美ら、奥山玲子と時代を共にした女性アニメーターたちの貴重なインタビューを読むことができる。以前なら志ある編集者がいくら机を叩いて上司に力説しても通らなかった書籍やドキュメンタリーの企画が、今なら日本中の出版社や放送局で動く。「朝ドラのモデルになった奥山玲子さんですが、本当の彼女は…」と、多くの人々に対して「物語の続き」を話し始めることができる。それが磯智明プロデューサーと脚本家の大森寿美男が『なつぞら』で成し遂げた達成であり、開拓である。