『なつぞら』は奥山玲子の人生を裏返したが……
『なつぞら』の作劇法は実は、奥山玲子の人生を裏返すような手法で書かれている。それは特別な家に生まれた特別な少女が周囲を変えていく物語ではなく、戦災孤児として拾われた、フェミニズムから最も遠い女の子が、周囲の女性たちによって変わっていく物語である。
広瀬すずが演じた奥原なつは、確かに奥山玲子のような早熟のフェミニストではない。でも女性として初めて北海道大学に進学し「女性の開拓者になりたい」と語る、血のつながらない姉妹・夕見子との、文字通り血ではなく魂でつながるシスターフッドが描かれる。激烈な労働争議の末に東映動画をねじ伏せた奥山玲子の戦いの代わりに、貫地谷しほりが演じるマコこと大沢麻子が描かれる。
一度は退職し、自身は子供に恵まれなかったが働く母親のための会社を設立するマコこと麻子の人生は、貫地谷しほりが演じた朝ドラ『ちりとてちん』の結末、落語家を引退してお母ちゃんになるという、彼女が当時すぐには受け入れられなかったとインタビューで語った結末のオルタナティブに見える。
と同時に、それは意図したかどうかは別にして、『なつぞら』の放送中に起きた歴史的大事件の被害者となった、京都アニメーションの創業の経緯をSNS上で多くの人に思い起こさせた。京都アニメーションもまた、八田陽子という一人の女性が、一度は結婚してアニメ界から引退しながら、再び京都の主婦たちを集めて作った会社である。
ジグソーパズルのピースのように登場人物をひとつ取り上げれば、確かにそれは奥山玲子個人に対する忠実なドラマ化ではない。しかし最終回まで組み上げられた『なつぞら』というドラマ全体を通してみた時、それはアニメ黎明期にどれほど多くの女性たちが存在し、何を望んだかという「彼女たちの時代」の大きな群像画、時代の肖像画になりえていると思う。
なつへの反発は、周縁化された人々の憤懣かもしれない
朝ドラ100作目のヒロインには大きなスポットライトが当たる。だが、その強い光は同時に激しい反発も生む。いくら努力や苦悩を描いてもSNSに上がるなつへの反発は、社会に主人公として扱われない、周縁化された人々の行き場のない憤懣(ふんまん)のように見えた。