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 宮崎駿が『折り返し点』188Pで、「仕事を辞めてくれと頼んだ日のことを、妻は今も思い出しては腹を立てている。今でも許していないだろう」と語る宮崎朱美、かつて大田朱美と呼ばれたアニメーター。宮崎高畑ら男性監督に当たるライトの影で作品を支えたHiddenFigures、知られざる女性たち。

 ももっち、森田桃代のモデルと言われた保田道世さんは3年前に亡くなった。この原稿を書いている時、貫地谷しほりの演じたマコさんのモデルと言われた中村和子さんが放送中の8月に亡くなられていたことが報じられた。

 まだ時間はある。彼女たちの時代を語ることのできる人たちが残っている。『なつぞら』は奥山玲子や宮崎朱美たちの物語を語り尽くすためではなく、最終回の後に、より多くの人が彼女たちについて語り始めるために作られたドラマである。

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夫の小田部羊一氏がトークイベントで語ったこと

 9月21日の夜、僕は吉祥寺で開催された、『奥山玲子銅版画集』出版を記念する叶精二氏と小田部羊一氏のトークイベントを観覧していた。「いやあ、僕は『海街diary』から広瀬すずさんのファンでね、奥山と違ったって許しちゃいますよ」といつもおどけてみせる小田部羊一氏は、たぶん21歳の若い女優が「史実と違う」と批判を浴びることと引き換えに、最終的には12年前に亡くなった彼の妻の名を多くの人々に知らしめることを最初から予感していたのだと思う。

 後半生、東京デザイナー学院アニメーション科で講師をしていた奥山玲子は、100本を超える生徒の作品を、どんなに稚拙であろうと集中力を切らさず全て目を通していたという。そして必要だと感じた生徒に対しては、マジックペンでさらさらと書いた作品評を兼ねた手紙を書いては渡していたらしい。小田部羊一氏によれば、彼女には推敲も書き直しもほとんどないから最初からマジックペンで書くのだという。

©文藝春秋

 ドラマと違い、現実の人生で奥山玲子が産んだのは息子であり、娘ではなかった。でももしも天国で彼女が『なつぞら』を見ていたとしたら、ハリケーンのように賞賛と敵意を巻き上げる広瀬すずや、情熱のままに26週分の台本表紙を描き上げていく刈谷仁美たちを、血ではなく魂でつながった娘のように思ってくれるのではないかと思う。ちょうど『なつぞら』のテーマがそうであったように。

「そのまま朝ドラにできるような大人しい女の半生記じゃなくてお気の毒だったね」と笑いながら、彼女が東京デザイナー学院の生徒たちにいつもそうしていたように、山口智子から粟野咲莉まで、表現に挑む魂の娘たち、後の世代を生きるヒロインたちへの厳しく優しい批評の手紙を、決して書き間違うことのないペンでさらさらと書いてくれるのではないかと思う。そして奥山玲子の魂が高い空から自分が去った地上を見守るとき、「残念なことに才人は全て男性でした」というあの無念の言葉を吐くことは、今も未来ももうないはずである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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