なんでそんなに不安を煽るのが上手いんだ
最終盤。時間を使い果たし、互いに1分将棋。形勢は不明と言いながら、ゆるい手を指したほうが負けですね、1分だから間違うかもですね、などとなんでそんなに不安を煽るのが上手いんだと恨めしくなる解説を聞きながら、前のめりで画面を見る私に新たな試練が発生する。トイレである。
秒読みで戦う先生方が、そして知る限り何時間も席を立っていない記録係が感じていると同じくらいの尿意がある。
何という一体感。私たち、対局に参加してる!?
もう次は指さない。ここで投げるだろう、もう一手指しますかね。いや形作りです。そんな解説やコメントを信じて……信じて……信じて、おや、こんなところに指しますね。まだ粘りますね。
終わらないじゃない!!(訳:トイレもう無理)
しかし私には席を立てない理由がある。
私の視聴時間はすでに、20時間を越えている。
「負けました」そう発声なさるのはほんの2秒足らず。丸一日以上もモニターの前にいるというのに、その一言を聞き逃すのは積み上げた視聴時間という塔を横殴りにする愚行、まさしく台無し。そして痛恨の極みである。
次回も頼むよ。愛しているよ、運営
私の膀胱が限界を迎える前に、辛うじて投了が宣言され、辛そうな棋士の様子に涙ぐみ、立ち上がりながら指先を伸ばして888888888を押してトイレに駆け込む。
個室の中で1人きり、「……そっか」とつぶやいて勝ち負けを受け入れ、手を洗いながら冷静さを取り戻して、いる場合ではない。
私はアンケート(今日の放送の満足度)のボタンを押さなければならない。画面が揺れようとブラックアウトしようと、音声がダブろうと途切れようと、私は放送が行なわれることの貴重さを知っている。よくやってくれた。次回も頼むよ。愛しているよ、運営。
この後感想戦である。我々にとっても心の整理の時間である。
推し棋士が負けたら、静かに泣く。椅子に膝を抱えて、誰とも悲しみを分かち合えずに1人で泣く。それでいいよ。全力だったことを知ってるよ。これからもずっと大好き。推し棋士だもん。信じてる。勝ち負けよりも先生の指し手と構想が好き。
勝ったときは「よっしゃー」と叫んでお風呂に入る。真夜中の脱衣所で部屋着を脱ぎ散らかし、バブ2個入れちゃうぞー。くらい喜んでいる。
これがWEB将のとある一日である。
どっぷり一日将棋漬け。楽しいですよ?