発売とともに、業界内外を騒がしている異色のコラボ増刊「ビームス×週刊文春」。そのなかから、ビームスの店舗作りを長年手がけてきた、ビームス創造研究所クリエイティブディレクター・南雲浩二郎さんのインタビューをご紹介します。
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全国展開するビームスは、そこに並んでいるファッションのみならず、それぞれの店舗の空間全体が個性を放っている。
店舗空間のデザイン・ディレクションを長年手がけ、テイストは違えど、全ての店から感じられる「ビームスらしさ」を築き上げてきたのが、ビームス創造研究所クリエイティブディレクターの南雲浩二郎さんだ。
南雲さんとビームスのつながりは、10代の頃にまで遡る。1976(昭和51)年原宿にできたビームス1号店を、1人の客として訪れていた。
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南雲 高校生の頃、学校帰りに渋谷や原宿へ遊びに出かけたとき、よく立ち寄る店でした。ときは1980年代前半、界隈に個人経営のインポート・ショップがポツポツと出始めていて、ビームスもそのうちの1つという感じでしたね。
店内は濃い木目の色が印象的で、とにかくコンパクト。そこに所狭しと服が畳まれ置いてありました。
当時は、インポートものがみんなの憧れ。行くたびに違う服があって、ライブ感がありました。
ただしビームスは、どこよりも新しいものを扱うというより、「本物に出合える場所」といった趣でしたね。
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高校卒業後前職を経て、原宿で夜間のファッションの専門学校に通うこととなり、ならば日中はビームスでアルバイトをしようと思い立った。1985年のことである。
原宿店の2階に1981年にオープンした、インターナショナルギャラリー ビームスの店頭に、南雲さんは立つことになった。
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ファッションがピリピリしている時代
南雲 そこは学生風情が足を踏み入れたら、ちょっと腰が引けてしまうような雰囲気の店でした。高級でスノッブなものが集まっていて、いかにも「オレこそオシャレだ」といった人が集まって来ました。
まだファッションがピリピリしている時代でしたね。少なくとも、誰もが興味を持つジャンルというわけではなかった。ファッション好きというだけで、もうすでに「特別な人」とみなされてしまうような雰囲気が残っていました。
だから売る側も、なかなか尖っていたものですよ。「ここはお客様との真剣勝負の場だ」という気持ちで、毎日店頭に立っていました。