本木雅弘、加藤和彦、高倉健、坂本龍一……
南雲 いま思い起こすとその心構えは、カウンター席に座った客と向き合う料理人に似ている気がします。
世界各地からいい服=素材が集まってくるので、そのネタでどうコーディネートの提案=料理をしていけるか、相手と全力でぶつかり合う。セレクトショップの面白さはそんなところにあると思い、日々実践していました。
店には舌の、いえ目の肥えたお客様も多かったから、いつだって気が抜けませんでした。
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本木雅弘、加藤和彦、高倉健、坂本龍一……。ファッションにうるさい著名人も、よく訪れていた。彼らが来店するたび、南雲さんは勝負を繰り返した。
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南雲 とはいえ、まさか喧嘩腰というわけではなく、いつも楽しく接客させていただきました。プロフェッショナルな仕事をしている方々は、こちらの意見もプロのものとして信頼してくださる。腕のふるい甲斐がありました。
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アルバイトで店に入ったものの、すぐ「社員になれ」と熱心に誘われ、86年、専門学校を卒業してビームスに入社した。
インターナショナルギャラリー ビームスで経験を積みながら、91年には同店店長となり、結局11年をそこで過ごした。
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南雲 80年代から90年代は会社がどんどん大きくなる時期でしたし、日本でファッションが一部の愛好家のためのものから一般の人々にまで広く浸透していった時代でもあって、日々変化を感じられる面白い時代でした。
当時は、セレクトショップという形態がまだ日本では珍しかったものです。売っているものを時期や店舗によってガラリと変えていくわけですが、店頭の品揃えによって「ビームスは今の時代を、こんなふうに捉えていますよ」との思いまで表現できるよう心がけて、店づくりをしていました。
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自社製造の商品を並べるのではなく、文字通り世界中からセレクトしてきた服で、店内を埋める業態ゆえ、「らしさ」や「統一感」をどう出していくかは、いつもビームスの大きな課題だった。
店に並ぶ商品のセレクトそのもので醸し出すのが基本だが、加えて内装や店の雰囲気によって、ビームスらしさと統一感を演出することも重要な要素だ。
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南雲 内装を外部のデザイナーに頼むと、もちろんカッコいいものに仕上げてくれるのですが、そこに「ビームスっぽさ」を盛り込むのは難しい。
そこはやはり内部の者が、しっかりビジョンを持ってディレクションをしなければならなくなる。そこで、売場の経験も長くてファッションの事情をよく知っている私が、そのあたりを担うことになっていきました。
はっきりとした辞令がくだったというわけでもなかったのですけれど。必要に駆られて、みずから手を挙げた感じです。