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参加制限のある新人棋戦で決勝三番勝負に6度進出

 第1期の決勝三番勝負が行われたのは1970年の7~8月だが、当時の棋界状況を見ると、大山康晴十五世名人が全タイトル(名人、十段、王将、王位、棋聖)を保持する五冠王であり、まさに敵なし状態に見えた。だが直後に中原誠十六世名人が十段と棋聖を大山から奪取し、大山時代から中原時代へと移り変わろうとする時でもあった。

 またこの数ヵ月後に丸山忠久、羽生善治、藤井猛、森内俊之(誕生日順)というのちに新人王となり、棋界をリードしていく棋士が相次いで生を受けたのは偶然とはいえ興味深い。

 新人王となった後にタイトルを獲得した初めての棋士が森安秀九段である。83年の第42期棋聖戦で中原に挑戦し、2連敗後の3連勝で初タイトルを獲得した。

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 新人王戦では第4、6、8期に優勝しており、第2、7、9期では準優勝している。参加制限のある新人棋戦で決勝三番勝負に6度進出したというのは不滅の記録だろう。また72年の第16回古豪新鋭戦では決勝で兄の森安正幸七段を破り、棋戦初優勝を果たした。兄弟で棋戦の決勝が戦われた例は極めて珍しく、他には90年の第3期竜王戦6組ランキング戦決勝が畠山成幸八段、鎮八段の兄弟で戦われたくらいだ(成幸八段の勝ち)。畠山兄弟の師匠が森安正七段というのも巡り合わせとしては出来すぎている。

羽生-森内戦は「棋界最強者決定戦」といわれた

 平成の将棋界をリードしたのが羽生善治九段をはじめとするいわゆる「羽生世代」であることは論をまたないが、その羽生世代同士が初めて番勝負の舞台で争ったのが、88年の第19期新人王戦決勝三番勝負である。羽生五段対森内四段(段位はいずれも当時)という組み合わせであった。これ以前に全棋士参加棋戦である天王戦に優勝していた羽生はもとより、森内も前年の新人王であったため、屈指の好カードだった。高校生同士の対戦ながら「棋界最強者決定戦」とまでいわれたほどである。

当時、島朗九段主催の「島研」で腕を磨いた羽生世代の棋士たち(左から順に島、佐藤康光、羽生善治、森下卓、森内俊之) ©文藝春秋

 この勝負は2-0で羽生が制した。さらに新人王戦に加えて天王戦とNHK杯戦でも優勝した羽生は88年度の最優秀棋士賞を受賞する。タイトルなしの最優秀棋士賞は当時の羽生以外に例がない。

 また羽生新人王誕生の半年前に行われた第7回早指し新鋭戦、半年後に行われた第8回早指し新鋭戦ではいずれも決勝で森内が羽生を下している。2002年に終了した早指し新鋭戦は、羽生の棋歴の中では数少ない優勝経験のない棋戦となった。羽生対森内の黄金カードが平成を彩ることは、昭和の末期から約束されていたといえよう。