大宅賞を受賞した『旅する巨人』は、『忘れられた日本人』などの著作で知られる民俗学者の宮本常一と、その宮本を物心両面から支えたパトロンの渋沢敬三のほれぼれするような「師弟関係」を描いたものである。そもそも「師弟」という言葉が、今ではほとんど死語と化している。

『旅する巨人』(文藝春秋)

 渋沢敬三は言うまでもなく、「日本資本主義の父」と謳われた渋沢栄一の孫である。栄一が九十一年の生涯に起こした企業は五百社にものぼる。

 栄一は新しく発行される一万円札の顔になり、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公にも選ばれた。いまや完全に時の人である。

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 栄一を演じるのは、NHK朝の連ドラの「なつぞら」で主人公のなつ(広瀬すず)が、ひそかに恋心を燃やした天陽くん役の吉沢亮だという。

 このキャストを聞いたとき、少し不安になった。非の打ちどころない二枚目の吉沢亮にあの「人間的」にすぎる、もっと平たく言えばとんでもない「助平」な栄一が演じられるだろうか。

吉沢亮 ©getty

吉沢亮が骨太の「家父長」を演じるのは至難のわざ

 栄一は平然と妾をかこい、生涯になした子どもは二十人にものぼる。栄一は「論語と算盤」という言葉でよく知られている。論語と算盤とは、経済と道徳を均衡させることが最も肝要だという栄一の主張である。

 栄一の後妻の兼子は「論語と算盤」という言葉を皮肉って言った。

「大人(たいじん)も『論語』とはうまいものを見つけなさったよ。あれが『聖書』だったら、てんで守れっこないものね」

『論語』には性道徳に関する訓言がほとんどない。だから栄一は「明眸(めいぼう)皓歯(こうし)(男心をそそる美人女性)に関することを除いては、俯仰(ふぎよう)天地に恥じない」などと堂々と言えたのであって、性道徳に厳しい『聖書』だったらとても身が保たなかっただろう、という妻でこそ言える皮肉だった。

『旅する巨人』のいわば姉妹編の『渋沢家三代』(文春新書)は、栄一を頂点とする渋沢家の三代にわたる「家父長」の悲喜劇を目指して書いた。

 その背景になったのは、明治維新から始まり近代化を果たした日本が戦争に巻き込まれるまでの激動の時代である。

 性急な予想は出したくないが、再来年のNHKの大河ドラマは、幕末の攘夷派志士としての栄一に力点を置いた物語になるような気がする。

 それだからこそ、吉沢亮という若手イケメン俳優を主役に起用したのだろう。さぞや爽やかな栄一になるに違いない。ちなみに吉沢は剣道二段の腕前だという。

 だが、彼のキャリアでは明治、大正、昭和という激動の時代を生き抜いた骨太の「家父長」を演じるのは至難のわざだと思う。