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「誰も僕をわかってくれない」

 元東京女学館理事長で、現在渋沢栄一記念財団理事長をつとめる渋沢家四代目の渋沢雅英は、父・敬三がときどき淋しそうな顔で「誰も僕をわかってくれない」と言うのをよく覚えているという。

 敬三はトランプの一人遊びをすることがよくあった。雅英はそんな敬三の姿に、すさまじいまでの孤独と寂寥の影を感じ取り、そのつど、山本周五郎の『樅(もみ)ノ木は残った』の主人公・原田甲斐の姿が父に重なる形で脳裏に浮かんだ。

 原田甲斐は仙台藩の重臣で、従来いわゆる伊達騒動の中心人物となった悪役とされてきた。だが、山本周五郎は原田の孤独感を温かいまなざしで見つめている。

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〈自分はいつも誰かにどこからか見つめられていた。幼い時からそうだった。五歳で父に死なれてから、四千石の館主として周囲から見守られてきた。寝ても起きてもいつも誰かに見守られ、誰かにうるさく世話をやかれたり、忠言され意見されてきた。自由だったのは山籠りをしているときだけだった。そのときだけ自分は自由な人間らしい気持になることができた……〉

 敬三にとっての監視の目とは、栄一を頂点とする渋沢一族から絶えず注がれる期待と責任感が入り混じった目だった。

 それを慰藉してくれたのは、学問の道だった。学問に没入できれば、栄一から懇願されてついた銀行業務の煩雑さからも逃れられるし、栄一の偉大さに押しつぶされて妾遊びに狂い廃嫡となった渋沢家二代目の父・篤二からの重圧も一瞬忘れられる。

宮本常一と渋沢敬三 ©文藝春秋

庶民のむき出しの性欲を露骨に描いた「土佐源氏」

 私が見るところ「青天を衝け」で六十作目となるNHK大河ドラマで最高の傑作は、昭和四十五(一九七〇)年に放映された平幹次朗主演の「樅ノ木は残った」である。共演は吉永小百合だった。

 あれは大人の鑑賞に堪える立派な作品となっていた。NHK大河ドラマはいつ頃からジャリ向けの番組になってしまったのか。

 話は戻る。これは『旅する巨人』の書籍版でも書いたことだが、私が宮本常一という男に最初に興味を持ったのは、中学時代に近所の図書館で借りてきて読んだ『忘れられた日本人』(未来社)があまりにも衝撃的だったからである。

 とりわけ庶民のむき出しの性欲を露骨に描いた同書所収の「土佐源氏」は、性に目覚めたばかりの中学生にとってはあまりにも刺激が強すぎた。

 その生々しすぎる描写の背後には、間違いなく性の暴風雨が吹き荒れていた。私が活字の裏から這い上がってくる言い知れぬ「暴力」を感じたのは、たぶんこれが初めての経験である。