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連載昭和の35大事件

関東軍に翻弄され続けた満州国“ラストエンペラー”・溥儀の数奇な運命とは

満州国の皇帝となった男の生涯

2019/11/03

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

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「昨夜宣統皇帝が脱出して行衛不明になりました」

溥儀の天津脱出、奉天入りを伝える東京朝日新聞

 戒厳令問題のあった翌朝即ち11月11日午前6時頃、警察署長が、悲壮な口調で、

「何とも申し訳のない事になりました。昨夜宣統皇帝が脱出して行衛不明になりました」

 と、泣きだしそうな顔付で私に告げた。

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 私は、表面いかにも冷静を装ったが、内心驚愕と「謀られた」という憤懣の情に燃え立った。

 署長以下護衛に当っていた警察官に対しては、

「諸君が充分供の責任を尽くしたにも拘らず、こうなったのだから、やむを得ない」

 と言って慰めた。

関東軍の引き出し工作に乗せらた“筋書き通りの脱出”

 やがて11時頃になると溥儀氏の従弟と称する溥修という人が、溥儀氏の手紙をもって訪れて来た。その文面は、

「内田満鉄総裁や貴方の度々の御意見に従い日本政府と打合せた上正々堂々と天津を出る約束をしたが、色々の事情でやむを得ず、貴方に知らせず又日本政府の意図も聞かず、今夜脱出する。自分としては非常に悪事だと思っている。然しやむを得ない事として、許しい欲しい云々」

 という意味の長文であった。

 溥儀氏は満洲事変が起る前筆者に対し屢々自分が退位したのは、中華民国政府に依って支那の民衆が一層幸福になると思ったからである。然るに、予期に反して、民国政府の治世二十数年は全く軍閥の闘争に終始し民衆は一日として安穏な生活が出来ない。自分が退位した当時に比して一段と悪くなっている。こんな事では、自分の退位は全然無意味であった。自分はもし民衆の希望があれば、何時でも起って民衆の不幸を救う決心であると言われていた。

 此の決意が満州事変直後の焦慮となり、関東軍や北支駐屯軍の引出し工作に容易に乗せられた少なくとも一因であったと思う。

 足手まといになる皇后にも絶対秘密にして溥儀氏は単身天津軍と土肥原一派の組んだ芝居の筋書通りに脱出されたのである。

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