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自分のフィルターを通して自分の言葉で考えたい病

 

――その後、自分でターニングポイントになった作品はどれだと思いますか。

西 ターニングポイントではないけれど、すっごく印象に残っているのは短篇集の『炎上する君』(2010年刊/のち角川文庫)です。『野性時代』で私の特集をやってくれることになって、そのために一本短篇を書いたらすごく楽しくて、そこからいろいろ書きたくなって「短篇集をやりたい」って言いました。どれも一気に書いて、すごく楽しかったです。又吉(直樹)さんに初めての帯コメントをいただけたのも本当に嬉しかった。また短篇は書きたいなと思います。

炎上する君 (角川文庫)

西 加奈子(著)

角川書店(角川グループパブリッシング)
2012年11月22日 発売

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  完全に書きたいものが決まったのは『白いしるし』(2010年刊/のち新潮文庫)です。それも島本理生さんがきっかけです。私、それまで『あおい』以外で恋愛小説を書いたことがなくて、でも作家はそうしたものも書けないと駄目なんじゃないかと思って、いろいろ模索していたんです。で、ちゃんと恋愛小説を書こう!と決めて『白いしるし』に取りかかって、二人しかいない密室の感じを書こうとしてすごく手こずっていて。その頃に島本理生さんが『あられもない祈り』(2010年刊/のち河出文庫)という恋愛小説を出版されたんです。「あなた」と呼びかける文章で、1行も要らないところがなくて、息苦しくて、美しくて。それを読んで「うわーっ」となって(笑)、「私が書けるのはこうじゃない」と気づきました。『白いしるし』は最終的に、恋愛というよりは失った恋からどう立ち直るかという話になりました。私は太陽に向かっていく話を書きたいんやなって思いました。そこから腹を決めたといいますか、それ以降の作品は太陽に向かって走っていく感じがあると思います。

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白いしるし (新潮文庫)

西 加奈子(著)

新潮社
2013年6月26日 発売

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――ありますね。当時「風通しのいいものを書きたいって分かった」って言ってましたね。

西 『漁港の肉子ちゃん』(2011年刊/幻冬舎)も私にとって大きいんです。これは3・11の前に宮城県の女川(おながわ)に行った時に漁港に焼肉屋があるのを見かけたことがきっかけで、そのことを「あとがき」にも書いたんですが、震災後に宮城在住の70代の男性からお手紙をいただいたんです。「西さんが見た女川の焼肉屋には本当に肉子ちゃんみたいなおかみさんがいらっしゃったんです。そのおかみさんは津波で流されてしまいました」って。お手紙をくださった方とはずっと文通させていただいてて、1年後くらいに宮城を訪ねたんです。そしたら、生き残ったご主人が仮設住宅で焼肉屋さんをやってらして、おかみさんの写真を見せてくれたんです。本当に肉子ちゃんみたいな、ふくよかで素敵な人で、みんなに愛されていて。言葉になりませんでした。自分の書いた物語が、自分の書いたもの以上の力を持つ時があるんだって思ったんです。「あとがき」にも書いたけれど、うちは肉子ちゃんというか、肉子ちゃんなるもの、肉子ちゃんに代表されるものを残していくことが仕事やと思いました。女川も、あの時の女川はもうないけれど、書いた女川は、キラキラしたその瞬間は残る。それが『サラバ!』を書いていた時にもすごくありました。「書いたものは残るんだ」って歩君も言っているけれど、あれは私の気持ちでもあります。

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

西 加奈子(著)

幻冬舎
2014年4月10日 発売

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――私は『きりこについて』(2009年刊/のち角川文庫)の頃から世の中の価値観、それに対する自意識の問題と向き合う姿勢が色濃くなってきたと感じているんですが。

きりこについて (角川文庫)

西 加奈子(著)

角川書店(角川グループパブリッシング)
2011年10月25日 発売

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西 そうですね。『きりこについて』は美醜の話だって分かりやすいですし。でも『さくら』の頃から幸せって何やろうね、と問いたい気持ちはありました。そういう気持ちに、だんだん言葉をつけられるようになってきたんかな。それを喜ばしく思うと同時に、ちょっと残念に思うこともあって、そこは引き裂かれているというか。うまいこと話せるようになってきた自分がちょっと嫌だったりするんです。たとえばモリスンを人に紹介する機会がどんどん増えて、モリスンのよさをどんどん言語化していけばいくほどモリスンのことをもう一度好きになるんだけど、高校生の時に思った、あの訳の分からない衝撃みたいなものからは遠ざかる気がするんです。

――何かを掬った時に「こぼれ落ちるもの」を書きたいのに、書いた瞬間にそれは「こぼれ落ちたもの」ではなく「掬ったもの」になってしまう、というお話をされていたことがありますね。

西 言葉って、ぼんやり淡く広がっていたはずの感情を枠にはめて「これはこういうことです」って言ってしまうものでもあるし、それが作家の仕事でもある。そのジレンマはありますね。人と喋っている時でも、「それってどういうこと?」とか「私はこうやねん、どう?」とかすぐ言っちゃうようになった(笑)。“自分のフィルターを通して自分の言葉で考えたい病”になってきてんねやと思います。作家同士で話しているとラクなんやけどね、みんなそれぞれ強固なフィルターがあるから、みんなブレない。

――西さんは作家の友達が多いことでも知られていますが、いい刺激を与え合っているんですか。

西 みんなシャイだし、言葉には人を傷つける可能性があるって分かっていて、丁寧に言葉を選んでくれているなと思います。みんなで旅行に行っても「美味しいな」とか「寒いな」みたいなことしか言わなくて、でも、帰りの飛行機でそれぞれ席が分かれてから、「最近こういうの書こうと思っていて」という話を熱心にしたりする。それはそれぞれのシャイネスでもあるし、思いやりでもあると思います。あと、普段はふざけ合うけど、メールでやったら真剣な話をする人もいますしね。そういうことからめちゃくちゃ勇気をもらっているし、孤独じゃないなって思えます。

――「いろんな作家のいろんな作品があるから、自分は自分の小説を書ける」とは、以前から何度も言ってますよね。『サラバ!』を書ききって大きな穴があると言っていましたけど、また西さんにしか書けないことが満ちてくるのを待っています。

西 書きたいことはいっぱい浮かぶんですけれど、まだそれに肉体がともなっていないですね。筋肉ってちょっと休んだらすぐ落ちるらしいけれど、小説を書くのも同じですね。でも、今また、ちょっとずつ書けるようになってきました。リハビリのようで面白いです。「あ、今ちょっと立てた……!」みたいな感じです(笑)。