西加奈子(にしかなこ)

西加奈子

1977年5月、イラン・テヘラン市生まれ。大阪育ち。2004年に『あおい』でデビュー。’07年『通天閣』で織田作之助賞、’11年咲くやこの花賞、’13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、’15年『サラバ!』で第152回直木賞受賞。

変わらないものはない。今のうちに書いておきたい 

――まずは直木賞受賞おめでとうございます。作家生活10周年記念の節目の年に、今までで一番長い上下巻の小説での受賞。受賞決定後の記者会見では、受賞の感慨をという質問に対する第一声が担当編集者への感謝でした。「西加奈子という作家を世に出してよかった」と思ってもらいたい、とずっと思っていたと。受賞作となった『サラバ!』の担当編集者は、西さんを見出した小学館の石川和男さん。ドラマのようだなって思いました。

サラバ! 上

西 加奈子(著)

小学館
2014年10月29日 発売

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サラバ! 下

西 加奈子(著)

小学館
2014年10月29日 発売

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西加奈子(以下、西) ありがとうございます。ほんまですよね、ありがたいです。今回、「これであかんかったら、うちは一生直木賞無理やな、直木賞には向かない作家なんやな」って思っていました。

――直木賞を受賞した作家さんのなかには、燃え尽き症候群になってしまう人と、もっと頑張ろうと思う人といると思うんですが、西さんはいかがですか。

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西 半々です。書きたいことはいっぱい浮かんでるんですけど、『サラバ!』を書き終わってから自分の中に大きな穴が空いている感じで、そこに何かが溜まっていくのを待っている状態です。この間『オール讀物』の3月号で林真理子さんと対談させていただきました。「林さん、しんどかった時ありますか」とうかがったら「直木賞獲った後の10年がすごくしんどかった」っておっしゃったんです。それを聞いて、逆になんか勇気が出ました。林さんクラスでそうなんやったら、私もこれから絶対苦しいんやろうなって。苦しむことが怖くなくなりました。

――『サラバ!』は何年から書き始めたんでしたっけ。

西 執筆期間は1年半で、2013年の1月くらいから書き始めて、2014年の初夏に書きあげました。きっかけはもっと前です。2010年くらいに島本理生さんに会った時、ちょうど理生さんが『アンダスタンド・メイビー』(2010年刊/のち中公文庫)を書いている時期で「いま長いものを書いていてしんどい」とおっしゃっていたんですね。「なんでそれ書いているの」って訊いたら「10年目に向けて」と言われて「めちゃ格好ええな、私もやりたい」って思ったんです。ちょうど同時期にジョナサン・レセムの『孤独の要塞』(早川書房)っていう、とても長い小説を読んで感銘を受けたんです。考えてみたらもともと好きだったトニ・モリスンやジョン・アーヴィングも長い小説を書いている。自分がそういうものが好きなんだなって気づいたんです。じゃあ私も10年目に、今まででいちばん長いものを書きたいなと思いました。

 

――それをどの媒体でどんな風に書くかを考えた時、どうでしたか。

西 迷わず小学館の石川和男さんに担当してもらいたいと思いました。石川さんは、私をデビューさせてくれた編集者やから。それで2010年に石川さんを家の近くに呼び出して(笑)、「もうすぐ作家生活10年になるので、長いものを書かせてください」って言いました。他の小説も書いていたのですぐ取り掛かったわけではないけれど、石川さんが編集長の雑誌『きらら』に途中まで連載して、後半は書き下ろしで本にすることになりました。

――『サラバ!』は少年時代は容姿にも恵まれそつなく生きてきた歩君が次第に行き詰りを感じて苦しみながら、やがて37歳になるまでの半生を描いた物語です。圷歩(あくつあゆむ)君という一人の男の人の半生にする、という構想はその時からあったのですか。

西 石川さんと話した時に『孤独の要塞』みたいな話が書きたいと言っていたので、その時点でもう頭の中にあったんだと思います。『孤独の要塞』は黒人と白人の男の子の友情の話。私も国籍や宗教を違えた男の子の友情と成長みたいな話、それと救いのある話を書きたいなという、ぼんやりしたものがありました。

――だから、これまで書いてこなかった、ご自身が小さい頃にいたイランやエジプトが舞台として出てきたのでしょうか? 圷君がイランのテヘランで生まれて革命があって帰国、大阪に住んだのちまた家族でエジプトに住むというのは西さんの経歴と同じです。もちろん歩君はフィクションの人物で、これは西さんの自伝ではありませんが。

西 それもあるし、あとは書き始める前の2011年に「アラブの春」が起こってエジプトのムバラク(大統領在任期間が1981年から30年続いた)が退陣して、盤石やった政権が崩壊して、民主化して……ということも大きかったです。エジプシャンってすごく保守的で、革命なんて性格的に受け入れない印象があったんです。それが変わったということが強烈でした。変わらないものなんてないんやったら、今のうちに書いておきたいって思いました。それで、エジプシャンの、しかも少数派のコプト教徒の男の子と、日本人の男の子の友情を書くことにしました。