自分が書いたものに引っ張られて次の場面が出てくる
――書き始めるにあたって、最初の1行「僕はこの世界に、左足から登場した。」が浮かんだそうですね。
西 そうそう。それで、よし、書き始めよう、って思いました。長いものを書くつもりだったので三人称のほうがいいかなと思っていたけれど、最初に浮かんだこの一文が「僕は」という一人称だったので、もう一人称でいくことにしました。『きいろいゾウ』の映画(2013年2月公開)のプロモーションで石川さんと大阪の地下街を歩いていた時に「最初の一行が浮かびました。書きます」ってお伝えしたら、「ほんとですか!」って驚かれたことをよく憶えています。たしか紀伊國屋書店の近くやったかな。
――作家のなかにはきっちりプロットを立てて書き始める人と、そうでない人がいます。西さんの場合、イランやエジプトが出てくることは決まっていたかもしれないけれど、他は何も決まらないまま書き始めたわけですか。
西 救いのある話にしよう、ということくらいかな。だから本当に、言葉に引っ張られていった感じです。お姉ちゃんが登場するシーンも「後にさまざまなやり方でわが圷家をかき回すことになる姉、貴子だが」って浮かんで、じゃあお姉ちゃんは何かすごくややこしいことになるんやなって思って、わくわくしました。作家としてこういう書き方で上下巻を書くのは大丈夫か? とは思ったけど(笑)。でも自分が書いたものに引っ張られて次の場面が出てくるという関係性がすごく面白いんです。最初にそのつもりでなく書いたことが後になってうまく繋がったりする。今回は長い小説だったから、そんな不思議な体験が何回も何回もありました。お姉さんが「ご神木」って渾名(あだな)をつけられたことも、最初は痩せた女の子が傷つく言葉として考えたんだけれども、最後にあんな風に繋がった。気がついたのは3稿目くらいで「なるほどー!」と。そもそも一人称だったから、最後に、ああいうことが書けたんだし……。すごく楽しかった。大変だったけれど、そういう楽しい瞬間があったから、ぐっと背中を押されてなんとかやってこられました。
――自分が信じるものを見つけようというテーマは、次第に生まれてきたものだったんですか。
西 書きながら出てきました。歩君も、お姉さんもお父さんもお母さんもなんらかの形で信じるものを見つけていく話になるんやな、とはわりと初期の頃に思いました。でもどうやって見つけていくかは手探りでしたね。お姉さんはキャラが強烈やからこの子は大丈夫やろうと思ったけれど、歩君は不安定な子やから、どうやって救えるやろうって思っていました。
――今回募集した質問のなかに「作品の中で苗字が珍しいものが多いと思うのですが、こだわりがあるのですか?」(40代女性)というのがありました。
西 最初は違ったんです。途中で変えました。あるところの店員さんに圷という名前の人がいて、いい名前やなと思って。それで、苗字が「圷」なのに息子の名前に「歩」とつけて「あ」の字を重ねるような人、というお母さんのキャラもできていきました。
――「圷歩のモデルはいるんですか」(30代女性)という質問も。これはよく訊かれると思うんですが。
西 私の小説でモデルがいるのは『サラバ!』の「サトラコヲモンサマ」のコヲモンサマくらいかな(笑)。あとははっきりしたモデルはいません。自分が話を作っていくうえで、こういう人がおったら面白いなとか、いいなとか思うことはあります。とくに『サラバ!』の矢田のおばちゃんとか夏枝おばさんは、小さい頃にこういう人が私のそばにいてくれたらな、と思いながら書きました。