2001年作品(96分)/日活/3800円(税抜)/レンタルあり

 今回は『かあちゃん』を取り上げる。貧しい長屋を舞台に、五人の子供を育てる母親・おかつ(岸恵子)とその周囲の人々の人間模様を、市川崑監督が描いた作品だ。

 といっても、注目するのは物語でも役者でもない。本作のもう一つの主役といえる存在――長屋のセットである。とにかく、このセットが素晴らしい。屋内には、畳や壁のしみ、障子の色のむら、それから傷んだ柱。屋外には、ボロボロになった水路の板や屋根。全てが、本当にそこで人々が生活を営んできたかのような痕跡が刻みこまれている。

 この細部までこだわり抜かれた長屋のセットの効果により、人物の生活をリアルな現実感をもって映し出すだけでなく、作品世界の全体を包む侘しくも温かい情感が生み出されることになった。

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 ただ忘れてはならないのは、これは映画のセットなのだから本作のために新たに作られたものである、ということだ。つまり、実際に人間が何年も生活してそのようになったのではなく、そう映るよう計算した上で全て人間の手によって創出されているのである。

 人間の生活の痕すらも設計してのけたのが、西岡善信。『地獄門』『炎上』『人斬り』『鬼龍院花子の生涯』『瀬戸内少年野球団』など、幾多の名作映画を担当してきた、日本を代表する美術デザイナーだ。

「その時代、その場所に暮らしていた人間がどのような生活を送っていたのかを考えてセットを作ってきました。そこに出てくる俳優さんの演技が生まれる土壌になるセットを作るのです」

 かつて取材した際、西岡は自身の美術の根幹をそう答えた。実際に西岡の作ったセットを歩かせてもらったことが何度もあるが、細部まで生活感があるため、そこにいるだけで作品世界の住人であるかのような錯覚に陥る。ここなら、俳優たちも役に没頭しやすいだろうと思った。

 しかも、ただ博物館的に当時を再現しているわけではない。あくまで映画のセットなのだから撮影されるために存在している――というのが大前提になる。そのため、壁や床や天井は全て着脱可能。裏側には空間ができている。そこにカメラや録音機材、それからスタッフを配備させることで、監督が望むあらゆるアングルから撮影できるという仕組みになっているのだ。

 西岡は先日お亡くなりになった。九十七歳。

 西岡の取材をしたのは、今から十五年前のこと。場所は本作の長屋セットの路地だった。夕暮れ時、持ち込んだイスに並んで腰かけながら語る姿が今も目に焼き付いている。

 その技術と魂、いつまでも語り継いでいきたい。